3 愛はディテール

2001.12


 久しぶりに吉行淳之介の対談を読んだ。講談社文芸文庫から『やわらかい話』として対談集が出たからである。(7月刊行)編集は丸谷才一。さすがにうまい。おもしろい。

 淀川長治との対談などは出色。吉行はスピルバーグの『激突』を見たばかりだったらしく、しきりに『激突』は恐い恐いと興奮して語っている。ぼくも初めて『激突』を見たときは心底感心してしまって、傑作だと言い続けていたので、同じ時期、吉行も激賞していたのだと今頃知って、意外に思うと同時にちょっと嬉しくなってしまった。

 淀川はデニス・ウイバー扮するサラリーマンの乗ってる車が赤いということに着目していて、「片っぽうは赤い車でしょう。片っぽうはグレーの暗い感じの自動車でしょう。煤だらけの。つまり汚ない自動車に乗ってるほうは、赤い自動車でスッと追い越されると腹が立ってくる。テメエらなんだというわけね。」なんて言う。

 そうか、今まで十数回見ている映画だけど、そんなことは考えなかったなあ。吉行も「結局あれは、片っぽうはホワイトカラーで片っぽうはブルーカラーというのか、そのへんの積年の怨みが或る一瞬に爆発する。対象は誰でもいい。いま、赤い色のことをおっしゃった、それがキッカケですね。」となどと妙に優等生的な応じ方をしている。そんな緊張の仕方にもまた味がある。

 話がルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』になるともう議論白熱。アラン・ドロン扮する貧乏青年とモーリス・ロネ扮する金持ちの青年は絶対に同性愛の関係なのだと淀川が言い張るが、吉行はなかなか同意しない。最後は吉行が説得されてしまうが、対談が終わったあと吉行は興奮して明け方までその話題で飲み続けたという。

 監督のルネ・クレマンが、そうは描いてないといってたらしいから、淀川説は強引すぎるのかも知れないが、もう一度見て確かめたくなる。そういう目で見ると、また違って見えるシーンもあるかもしれない。

 映画がほんとに好きな人は、ディテールについて延々と語るものだ。ディテールこそは、様々な解釈を許し、どこまでも深まっていくからだろう。

 そこへいくと、辻邦生なんかは映画好きを自認していたようだが、『激突』については「海辺の一本道なので、逃げ道がない」などと書いて平気でいる。もちろん『激突』に海なんか金輪際出てこない。勘違いにしてもひどすぎる。辻邦生は少なくとも『激突』という映画を愛していなかったことは確かなようだ。


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