2 見ないと見える

2001.11


 中学生の校外授業の引率で、横浜紅葉坂の青少年センターに行った。ここは昭和37年に出来たという古い施設だが、昭和37年というとぼくが中学に入った年になる。

 こんど子どものための青少年センターというのが出来ることになったが、それについて小学生たちの意見も聞きたいということで、どこかの会議室に市内の小学校から代表の生徒が集まったことがあり、ぼくもそれに参加した覚えがある。何を言ったかは覚えていないが、生意気なことを言ったに違いない。

 引率していった中学2年生にそんなことを自慢してみたが、別段感動もしてくれなかった。40年も前の話では実感に乏しすぎるのか、いまだにそんなことを自慢しているぼくに呆れたのか、いずれにしても彼らには関係ない話である。ただぼくにしてみれば、このセンター建設にほんの少しかかわったということは、やはりいつまでたっても忘れられないちょっと誇らしい思い出なのである。

 今でもよく小学生の意見を聞くなんて催しがあり、そんな話を聞くたびに、何をくだらないことをやってるんだ、どうせ形だけで彼らの意見なんて聞く気なんてないじゃないかと思うけれど、そういう自分の体験を思い出してみると、あながち無意味ともいえないような気もしてくる。

 それはともかくとして、久しぶりにプラネタリウムを見た。人工的な星空だが、いつ見てもよくできていると感心してしまう。満天の星をみていると、高校生のとき北アルプスの白馬岳山頂からみた星空を思い出す。あれは、ほんとにすごい星空だった。

 「この辺にぼんやり見えるのがペガスス座の銀河です。見えますか?」どうしてこんに詳しいんだろうと思うような解説者が、矢印で示す。どうもよく分からない。煙みたいのが見えるような気もしないでもないが、よく分からない。

 「こういうのを見るときはね、コツがあるんです。それは、まっすぐに見ないで、そこよりすこし横を見ながら、斜めに見ると、案外はっきり見えるんです。人間の目は、中心部はよく見えない構造になってるからなんですね。」

 銀河があるというところから少し離れたところを見ながら、ちらりと視界の片隅を意識すると、何と、はっきりと円盤状の雲のような銀河が見えた。

 ぼんやりとしたもの、微少なもの、弱いものは、視界の片隅におかないとよく見えない。正面から直視しすぎて、かえって見えなくなっているものが、ぼくらの世界にはどうもたくさんあるらしい。


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