1 あきらめない

2001.11


 何度注意されても直らない癖というものはあるものである。結婚して30年にもなろうという今となっては言うだけ無駄だと思うけど、と何度言っても、家内はあきらめない。少しは直ったものもあるというのだ。

 癖とはちょっと違うが、確かに直ったものもある。そのひとつが厚着だ。オバアチャン子で過保護気味だったからなのか、家が古くて寒かったからなのか、とにかくひどい厚着だった。冬は、半袖下着の上に長袖のラクダの下着、その上にワイシャツ、その上に毛糸のチョッキを着て更にセーターを着てオーバーを着るなどということはザラだったし、下の方もラクダの股引を欠かしたことはない。

 だけど、あのときはほんとに恥ずかしかったと家内は言う。何でも、まだ結婚していないころ、二人で「ズボン」を買いにいったらしい。試着室で、店の女の子が裾上げのためにズボンの裾をまっくった時、プッと吹き出したというのだ。そんな記憶は全然ない。股引をはいていたからか? というと、「股引ぐらいその頃は別に珍しくもないわよ。股引を2枚重ねてはいていたからよ。もう、びっくりした。」と家内。「白い股引の上に、ラクダの股引なんだもの。そりゃおかしいわよ。」

 結婚して、そんな厚着はみっともないと諭されたのか、だんだんと厚着をしなくなった。最近ではもちろんラクダの股引なんかはいていない。上だって、長袖の下着なんか着やしない。人間、進歩するものである。だから、家内もあきらめない。

 「何度言ったら分かるの! 靴はそろえて脱ぎなさいよ。あなたがそうだから、子どもだってみんな靴はバラバラじゃないの。」という小言も数百回聞いた。子どもはとっくに家を出ているが、多分靴をそろえて脱げないだろう。

 「オニイサンの家に最初に行ったとき、ほんとにびっくりしましたよ。」と妹の亭主は今でも言う。「靴がみんなこうなんだもん。」と言いながら、両手を胸の前で前後にずらしてみせる。ぼくや妹の育った家には、いわゆる玄関というものがなかった。家に入るとすぐにコンクリートの床の事務所で、その奥の一段高くなった所に居間みたいな部屋があった。だから、靴を脱げる場所がやたら広いのである。いきおい、歩いたとおりに靴を脱いでいってしまうことになる。

 どうしてそんな器用な脱ぎ方ができるのかと義弟はいぶかるが、何事も訓練なのだ。しかして、訓練して身につけた技は、そう簡単に捨てられるものではないのである。


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