98 至福の時間

2001.10


 水彩で風景画ばかり描いてきたが、今年になって急に植物の絵を描きたくなった。以前、植物を精密に描くいわゆるボタニカルアートに興味をもって、描いたことはあるのだが、あまり続かなかった。花や葉の大きさを定規で測ってまで正確に描くという作業は時間がかかりすぎて手におえなかった。

 しかし最近、風景画のほうも題材が不足しがちになり、身近な植物を描くのも悪くないと思うようになった。それに、何もボタニカルアートなどと意気込まなくても、描きたいものを描きたいように描けばいいじゃないかと考えた。

 趣味でやってることだから、自由に描けばいいに決まっているのに、なぜかどこかで自分を縛ってしまうようなところがぼくにはある。自由であることは、なかなか難しい。

 まあそんなわけで勝手な植物画を描き始めたのだが、描きたい植物を手に入れることが、これまた意外に難しいのだ。

 たとえばザクロ。緑の葉とピンク色ともオレンジともつかぬ微妙な色の実はなかなか趣深いもので、描きたくなる植物だ。そのザクロが前の家にあって、実がたわわになっている。見るたびに描きたいなあと思っていたが、そんなに親しくはないので「ください」とはなかなか言えなかった。「夜中に盗んでこようか。」なんて冗談を家内に言ったりしていた。

 そんなある日、家に帰るとテーブルのうえにザクロが枝ごと置いてある。思わず「オー!」と叫んでしまった。「食べないかも知れないけど、どうぞ。」って向こうからくれたのだと家内が言う。思いは通じるものだ。その日は忙しかったが、翌日になると葉が枯れてしまうので、急いで描いた。そうかあ、葉はこう付いているのか、実はこんな形かあ、なんて納得しながら描くのも楽しい。相手をより深く知る喜びである。

 ザクロ以上に描きたいのがカラスウリだった。昆虫採集をしていた中学生のころにはよく見かけたのだが、いざ描こうと思って探してもなかなか手に入らない。そうなるとますます描きたくなって、いつしかカラスウリは憧れの植物になってしまっていた。

 そんな話を学校の同僚としていたところ、しばらくして彼が「葉っぱはしぼんじゃったけどさ、採ってきたよ。」といって、ドサッと持ってきてくれた。おお、うれしや。なんていい人なのだ。源氏物語をもらった更級日記の作者のような天にものぼる気分。いそいで3枚のデッサンをとった。描く喜びに指先も踊った。至福の時間だった。





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