96 カウンターに坐って

2001.10


 寿司屋のカウンターに坐って、好きな寿司を好きなだけ食べられたらいいなあと、若いころからずっと思っていたが、最近になってようやくそういうことが普通にできるようになった。家内と二人でカウンターに坐って、タイだの、イワシだの、ホッキガイだのと言って、寿司をつまんで、冷酒など飲んでいると、ようやくオレも一人前の大人になったのかなあと、妙な感慨に襲われる。

 しかし、まだどうも板につかないというか、場所に馴染まないというか、何となく落ち着かない。特に坐った瞬間がいけない。気後れしてしまうのだ。気後れすると言ったって、銀座の高級寿司屋なんかじゃない、近くの京急デパートの上の寿司屋、お値段もとても手頃なのだ。それなのに依然として寿司屋というのは、「あこがれの」とか「まだはやい」とかの枕詞が自然についてしまうくらいの高級感をぼくの中では保持しているのだ。

 坐った瞬間、「こんな所にきちゃいけないんじゃないか。」という気分がサッとおでこのあたりを吹きすぎる。カウンターに坐っている男女がみんないい会社の部長クラスに見える。部長のとなりに坐っている女は、きっと愛人に違いない。そいつらが、「なんだあいつら、ガキのくせして生意気な。」とでもいうような目でチラリとこっちを見てるような気がしてしまう。

 部長クラスともなれば、寿司の頼み方もさすが大人。「うん、そのハマチ、刺身でもらおうか。」なんて偉そうな言い方をする。「あのー、すみません。そこのイカください。それから、冷酒ありますか。」なんて、まるでポット出の60年代の大学生じゃないか。恥ずかしい。しかし、家内はあっという間に馴染んでしまって、板さんに「今日のオススメはなあに?」なんて馴れ馴れしく聞いたりするもんだから、だんだん酒が入ってくるのも手伝ってぼくもそれなりに馴染んではくるのだが。

 そんな気苦労をしながら、ふと斜向かいのカウンターをみると、きまって親子連れがいたりする。子どもは小学生。すかっり慣れた手つきでお絞りなんか使いながら、「ぼくイクラ。」なんて頼んだりする。こういうのはほんとに腹立たしい。親もろともつまみ出したくなる。

 そもそも小学生が寿司屋のカウンターに坐るなんて30年はやいのだ。人生には階段がある。最初から「頂点」(でもないか)に立たせたら、あとは下がるだけ。50過ぎての感慨も彼らにはないのである。それではあんまり可愛そうではないか。





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