93 「卵かけごはん」を探して

2001.9


 忘れられない文章というものがある。

 それが有名な名作などの場合は、何十年振りだろうが、その作品をもう一度読むということは、さほど難しいことではない。「作品」は、いつでもある、そうぼくらは思っている。読みたければいつでも読める。たとえ家に本がなくても図書館に行けば必ずあると思っているわけだ。

 しかし、実際はなかなかそうもいかない。名作と呼ばれていたものだっていつの間にか絶版ということもある。まして、マイナーな作家の短い小説とか、名も知れない人のちょっとしたエッセイとか、そういった類のものは、いったん紛れてしまったら、まず二度とお目にかかれない。

 もう20年以上探し求めている、ぼくにとっては幻の名エッセイがある。筆者はジェームズ三木。エッセイの題名は「わがグルメは卵かけごはん」。掲載紙は、「毎日夫人」。「毎日夫人」というのは、毎日新聞の購読者に配られる小冊子である。

 ジェームズ三木が大好きな卵かけごはんについて書いたこのエッセイは、長いこと文章を書くうえでの一つの目標だったのだが、残念なことに最初に読んで以来二度と読み返すことができないでいるのだ。ジェームズ三木の本もずいぶんあたってみたが見あたらない。

 話は単純だ。太っているので夜食を女房から禁止されている筆者は、女房が寝てしまってから階段をそおっと降りてダイニングに侵入する。そして、そっと冷蔵庫をあける。

 「冷蔵庫のなかには白い卵が女学生のように肩を並べている。」

 この「女学生のように肩を並べている」という比喩に参ってしまった。その卵を見て筆者はつぶやく。

 「かわいいやつめ」

 うーん、いいなあ。この呼吸。ちょっとあぶないけど。さて筆者はおもむろに茶碗に白いご飯を盛り、そのご飯のうえに卵をおとす。関東育ちのぼくなんかは、卵は溶いてからお醤油をまぜて、それからご飯にかけるのだが、ジェームズ三木は関西育ちなのか、いきなりご飯に卵をかける。すると卵が

 「もうどうにでもして!というように、ご飯のうえで形を崩す」

 のだそうである。なんとすごい言葉のちから。

 なんの変哲もない卵かけごはんを、こんなにもエロチックに、おいしそうに書いた文章はみたことがない。ジェームズ三木はこの一編で日本エッセイ史上に金字塔をうち立てたと思うのだが、その文章が今どこを探してもないのである。

 あーあ、せめてコピーをとっておくべきだった。




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