90 年を感じる

2001.9


 家に遊びに来ていた家内の父親が、朝、何だかひどく落ち込んでいる。どうしたんですかと聞くこともはばかられ、いろいろと話を聞いていたが、その隣にすわっている家内の母親の口振りから、どうも朝起きてすぐ、「ショックなこと」があったらしいことまでは分かった。

 「どうも、この頃は年を感じてねえ。」と父。思わず、「年を感じる、じゃなくて、年なんですよ。」と口走った。「だって、もう80に近いんですよ。年を感じるっていうのは、ぼくみたいに50を越したばかりの人間がいう言葉ですよ。もう年なんだから、いいんですよ、思い通りにならなくたって、それがあたり前なんですから。」「そうかねえ。」と父はあんまり納得しない様子。

 日本全国の海岸を走り回って、波の写真を撮り続けてきた父は、既に二科展に何回も入選し、個展も何度も開催して来た。写真集まで出版している。ぼくなどからみると、これ以上なにを望むかという感じなのだが、父はまだまだより高い所を目指している。つい先日も台風11号が来るというので、わざわざ上陸の日をめがけて高知まで出かけていくというすさまじい情熱である。

 それだけに、老いを感じさせるちょっとした失敗でも、ひどく気持ちを落ち込ませる原因になるのだろう。

 「なるのだろう」などと人ごとみたいに言っていられる場合では実はない。

 昨日、今度の人間ドックのために検便をしなければと、便意のなかあわててトイレに駆け込んだ。汚い話で恐縮だが、洋式トイレの場合、便の採取は工夫がいる。みんなどうしているのか知らないが、ぼくの場合はトイレットペーパーを多めにとってそれを水に浮かべ、その上に「適量の」便をのせるようにする。多いと紙と共に沈む。まあそんなことはどうでもよい。

 それで昨日も慣れた手順で二つの容器の一つにそれを採った。ポリープの既往のため二日分の検便をしなければならないので、ピンクと黄色の二つの容器があるのだが、ぼくは頭のどこかで「エーとなんで二色あるのかなあ」と思いながら、黄色の容器に採った。その直後、「便の採り方」というパンフレットを読むと「最初の日はピンクの容器に採ってください」の文字。もう取り返しがつかない。

 なんで先にパンフレットを読まないのか。ドックの受付で、「間違えました」と若い女の子に言わねばならぬ。「あーあ」という、女の子の哀れみと軽蔑の視線を今から全身に感じてしまう。

 ほんとうに、年を感じる。


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