87 っていうか

2001.8


 

 

 流行語はなるべく使いたくないとは思うけれど、流行語が全部悪いなどとはとても言えない。言葉は変化してこそ言葉なのだから、流行語を否定することは言葉を否定することになってしまいかねない。

 けれども、いかにも軽薄な流行語は、聞き苦しいし、それを得意げに使うのは見苦しい。『どっちの料理ショー』なんかで、うまそうな料理がでると、最近ではきまって「ヤベーッ」とか「ヤベーヨー」とか叫ぶのが定番になっている。もちろんこれらは「やばい」の変化形で、「こんなにうまそうな料理が出てしまったら、これに気持ちが引きつけられ、挙げ句の果てにその料理の誘惑に勝てそうもないので、そういう自分の状況は、自分を自分で律しなければいけないという世間の道徳律に照らし合わせると、かなり困ったことである。」というほどの意味であろう。

 これだけの内容を「ヤベーッ」の一言で片づけられるのだから、便利ではあるし、いっそ使ってしまおうかとも思うのだが、どうも芸能人がその言葉を自分が最先端を行ってるぜというような得意顔で大声で使っているのをみると、その気も失せる。

 流行語も、それが流行語だと気づかなくなるくらいにこなれてくると、使ってもいいかなという気になる。っていうか、知らぬ間に使ってしまう。このいま使った「っていうか」というのは、多くの場合「ってゆうかあ」というふうに語尾をあげてだらしなく発音すると、今どきの女子高生の言葉になるわけだが、「っていうか」ぐらいだと、話し言葉のなかでは、違和感がない。

 しかし、いま使ったように、何かの言葉のあとにすぐ続けるのは、あんまり新鮮味がない。むしろ、いきなり「っていうか」と切り出すのが新しい用法である。前に何にもないのにいきなり「っていうか」で切り出すのは、いかにもおかしいが、黙っている間に、ずーっと心の中で自問自答していて、それを受けて語り出したという感じがでる。しかも、その自分の中でのごちゃごちゃした思いを、一度断ち切り、否定して、ひとつの命題を提示したような感じさえある。

 言葉を発するというのは、多かれ少なかれこの「っていうか」を前提にした行為だろう。「君が好きなんだ」というような、明快な宣言でも実際は「っていうか、君が好きなんだ」と言うことなのだろう。ただ、普通はこれを省略するのだ。

 ぼくのこのエッセイだって、いつも「っていうか」で本当ははじまっている。










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