85 水加減

2001.7


 

 

 つい最近まで、どうしてもご飯だけは炊くことができなかった。水加減が分からなかったからだ。

 食べ物に関しては、好き嫌いもなく、特にこれがなくてはというこだわりもないのだが、こと「ご飯」になると、結構ウルサイ。といっても、米は魚沼産のコシヒカリじゃなきゃダメだとか、玄米じゃなきゃイヤだとか、そういうことではない。ちょうどよい炊き加減じゃなきゃイヤということなのだ。

 柔らかすぎてもだめ、固すぎてもだめ、お焦げなんて絶対食べられなかった。もっともこのお焦げに関しては、お焦げは決して「失敗作」ではないのだと悟った数年前から食べられるようになった。しかし、柔らかすぎて、その結果、ご飯粒がくっついて固まりになってしまったのは、まったく食べられない。もちろん、芯のあるのなんて言語道断である。

 そういうわけだから、自分でご飯を炊くとしても、その水加減に慎重にならざるを得ないわけで、とても恐しくてできなかったのだ。「ちゃんと線がひいてあるんだから、その線まで入れればいいじゃないの。」と家内はいとも簡単に言うのだが、「その線」と言ったって幅があり、その線の上側までなのか、その線が隠れてしまってもいいのか、釜はちゃんと水平になっているかなど、悩むべきことが多すぎて、どうしても自分で炊く気にならなかった。

 ある日、清水の舞台から飛び降りる気持ちで挑戦し、見事炊けたときはほんとに感激したが、今でも水加減には緊張してしまう。

 そんなぼくなのに、先日生徒引率で出かけた「海のキャンプ」で、こともあろうに「飯ごう炊さん」の指導を命じられてしまった。

 何が分からないといって、飯ごう炊さんの水加減ほど分からないものはない。手を突っ込んで指の第二関節までなんていうが、人差し指なのか、中指なのか、薬指なのか。それよりなにより、指の長さなんてものは人によって違うのに、どうしてそんないいかげんなことで平気なのだろうか。そういう疑問が、幼少のころからズーッとあった。

 その疑問を一緒に指導することになった教師にブツブツと呟いていたら、「あ、それはですね、要するにどうでもいいって事なんです。」とあっさり言う。

 「電気炊飯器は炊く時間が決まってますから、水の量もきっちりしないとだめですけど、飯ごうは水分がなくなるまで炊けばいいんですから、多少多くても関係ないんです。」

 びっくりである。どうもぼくの人生は根本の所で間違っているらしい。









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