84 お天気のことなど

2001.7


 

 

 こう暑いと「日本もついに熱帯化しつつあるのか」なんて、このごろはやりのフレーズをつい口に出したくもなる。

 小学生のころ、夏休みの宿題で「お天気調べ」というのをやらされて、毎日気温をノートに記録したような記憶があるが、どう思い出しても「35度」などというとんでもない温度を記したことはないような気がする。「32度」あたりで、かなりびっくりしていたように思うのだ。

 それからすると「37度」とか「39度」とか、あたりまえのように出てくる昨今の状況は、どう考えても「地球温暖化」現象のように思えてしかたない。つい最近の週刊誌の釣り広告にも「東京に見知らぬ熱帯性植物がゾクゾク繁殖……」というような見出しがあって、思わず買いたくなってしまった。

 「お天気調べ」なんかくだらないと思っていたが、今になって思うと、昔はこんなことなかったなあと思う根拠にしっかりなっていて、なるほどやらせる価値があったのだと納得される。今はいったい何度なんだ?と、寒暖計をみる習慣がついているだけでも立派な成果だ。

 昆虫採集だって、いまでは「命の大切さ」が重視されて、あまり推奨されてはいないのだろうが、自然に親しむための実に有効な手段なのだ。一匹の虫を見て、「これは何虫だろう?」と思う気持ちだけでも尊い。

 いつだったかSMAPの香取慎吾が、「おれって、季節ってわかんないんです。暑いか、寒いかぐらいしか感じないの。」と言っていた。秋とか春とか、夏から秋へとか、冬の訪れとか、そういう微妙なことは一切わからないらしい。これは、香取だけのことではおそらくないだろう。多くの若者は、多かれ少なかれそういうことになってきているのではなかろうか。

 狭苦しい人間関係のなかで、誰が好きだの嫌いだの、誰と誰がアヤシイだの、あいつにムカツイタだの、その一言にキレタだの、今晩は誰と何を食いに行こうかだの、そんなことばかりで日を暮らしていれば、春も秋も関係ないだろう。

 ケータイで、「あのさあ、今、コシアカツバメ見たんだよね。夏だねえ。」なんて話してる今どきの高校生の姿は想像しにくいし、プリクラシールをべたべた貼った手帖に、「ニイニイゼミ鳴く。うれしい。」とか「ヒトスジシマカにくわれる。かゆい。」などとメモしている女子高生もいそうにない。

 もしいれば、世の中捨てたもんじゃないって思えるのだが。









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