83 戸塚ですよ

2001.7


 

 

  地下鉄が戸塚駅に着いても、その子は額を手で支えて眠ったまま立ち上がろうとしないので、どうしようかと、ちょっと迷った。

 トントンと叩くのは、その青白い手だろうか、やせてとんがった肩だろうか、それとも膝のうえの黒い鞄だろうか。

 かける言葉は、「戸塚だよ。降りないの?」だろうか、「戸塚ですよ。降りるんでしょ?」だろうか、「戸塚だけど、降りなくていいんですか?」だろうか。

 目を覚ました彼女は、「あ、すみません。」って言うだろうか、「あ、はい。」ぐらいだろうか、それともだまって不機嫌そうに立ち上がるだけだろうか。

 明日また車内で会ったとき、彼女は恥ずかしそうに会釈するのだろうか、それとも「昨日はありがとうございました。助かりました。」とハキハキお礼を言うのだろうか、それともまったくお前なんかの顔は覚えてないとでもいうように無視するのだろうか。あるいは今日と同じように深い眠りに落ちているのだろうか。

 明日も今日と同じように、戸塚に着いても目を覚まさずに、青白い顔を青白い手のひらに埋めて眠り込んでいたとしたら、こんども起こさなきゃいけないのだろうか。その時は「戸塚ですよ。」だろうか、それとも、今度は2度目だから少しはくだけて「戸塚だよ。」の方がいいのだろうか。そんなくだけた言い方を、たった2度目でするなんてと腹をたてた彼女は「そもそも、このオヤジはなんで今日も私を監視してるんだ。親でもないくせに何様だと思ってるんだ。」って内心憮然とするだろうか。

 それにしても、この子はどうも気にいらない。このところずっとそうなんだが、ぼくが上大岡から乗り込むと、必ず両足を広げて座って寝ていて、隣に座ろうとしても詰めようとしない。いつもこの子の両側は中途半端に空いていて、そのために誰か一人が席を奪われている。

 よっぽど声をかけて、「席をつめてくれる?」って言おうかと思うこともあるけれど、どうやって起こすのか。トントンと叩くのは、その青白い手だろうか、やせてとんがった肩だろうか、それとも膝のうえの黒い鞄だろうか。

 結局どうしようもなくて、たいていは彼女の隣ではないところの席が空くから、そっちに座るが、彼女の両側の空いている空間がいつも気になって、そこばっかりみているから、戸塚に着いても目を覚まさない今日は、あれっと思って、ちょっと迷った。

 迷っているうち、ドアーは閉まり、彼女を乗せたまま、地下鉄は走り去った。









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