79 自分も大切?

2001.6


 

 

  最近やたら忙しくて、遊んでるひまがないものだから、ついヤケになって、「おれは仕事が生き甲斐なんだ。遊びなんかに興味はないや。」って隣の席の若い教師に向かって口走ったりしてしまう。するとその若い教師は「淋しいですね、そんなの。」と言って、「しょうがないなあ、ワーカホリックのオヤジは。」とでも言いたげな顔でぼくを見る。

 「これからは、シニア世代が、家族のためとか、人のためとかいうんじゃなくて、もっと自分のためにお金を使おう、いや自分のためにお金を使ってもいいんだと考えることが大事だと思うんです。」と言って、糸井重里が自分の作ったコピーを書いてみせた。

 「自分も大切。」

 個人資産を大量にため込んでいるシニア世代にどうやって金を使わせるかということを考えるNHKらしくない番組。この世代が盛大に金を使い始めれば日本経済はよくなるらしいのである。

 そんな番組をみながら「いいかげんにしろ」とブツブツつぶやいていた。戦後の混乱期から、遊ぶひまなどなく懸命に働いて、子どもや親や孫のためにわが身を犠牲にして、いや犠牲にしてという意識もなく、それが幸せだったからそうしてきて、今のハイテクの世の中でとりたてて欲しいものもないから、まあ貯金でもして子どもに使ってもらおうかと考えているシニアのどこが悪いのか。

 「わが身を犠牲にしてなんて考えは古い、これからは自分が楽しまなくては。」なんて言うことばに踊らされ、50を過ぎて何千万というローンを組んで高層マンションを買ったり、日々通信販売のカタログに目を通して欲しいものを欲しいだけ買ったりして、そんなことがシニアの新しい生き方だなんて錯覚していられるシニアもシニアだが、そうやって日本経済の活性化を錦の御旗にしてシニアを食い物にする連中もそうとうあくどい。

 「自分も楽しもう」とおもってやることに、ろくな楽しみはない。もちろん、その程度の楽しみが人生にあるに越したことはないし、あって悪いということではさらさらない。しかし、子どものため、親のため、あるいは友人のため、社会のために、わが身を「犠牲」にして働くことに喜びを見いだしてきたシニアが、糸井重里ごときに「自分も大切。」なんてお説教を垂れられる筋合いは断じてない。

 つまらない遊びに、苦労して貯めてきた金を無理して使うことなんかないのだ。尊い自己犠牲の人生の最後の詰めを誤ってはなるまい。







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