77 長野新幹線

2001.6


 

 

 去年の夏、所用あって長野に行った。はじめての長野新幹線で、ちょっと嬉しかった。鉄道マニアというほどではないが、やはり乗り物では鉄道がいちばん好きだ。何と言っても、鉄道には情緒がある。

 しかしびっくりしたのは、高崎を出てから異様に早く軽井沢に着いてしまったことだ。高崎を出たと思ったら、やけに長いトンネルを疾駆する。そうとうな登りだと思うのだが、まるで平地を走るようにすべって行く感じなのだ。そして、あっという間に軽井沢。何だか拍子抜けだった。

 それというのも、ぼくは小学生の頃から、信越本線によく乗ったからなのだ。母方の田舎が新潟県の青海町という、富山県と新潟県の県境の町で、そこへ行くのに、上野から急行「白山」というのによく乗ったものだ。小学生の頃は、いや、おそらく中学生になってもまだ途中は蒸気機関車を使っていたはずだ。上野を9時ぐらいに出て、糸魚川に4時すぎだったのではなかったか。退屈だったけれど、楽しい独り旅だった。

 特に軽井沢の手前の横川では、しばらく停車して機関車を付け替える。機関車一台ではその先の碓氷峠を越えることが出来ないからだ。しかも、有名なアプト式という方式まで使って、文字通り四苦八苦して峠をのぼったわけだ。

 列車が横川に着くと、「峠の釜飯」を買うのが定番で、そのために窓を大きく押し上げるのだが、そのとき決まって今まではとはまったく違う冷気がさっと車内に流れ込む。この瞬間がたまらなく好きだった。ああずいぶん高い所まで上ってきたんだなあという実感があった。

 それからガタゴトガタゴト、数え切れないトンネルを抜けて、ゆっくり峠をのぼる。あんまり時間がかかるので、トンネルの数を数えて、気を紛らわしたものだった。そういう苦労の末にようやく軽井沢にたどり着く。そういう経過があるからこそ、軽井沢はどこかよそとはまったく違う別天地のように見えたのだろう。

 軽井沢を過ぎると、列車は今度はさっきの苦労が嘘のように軽快に走った。蒸気機関車もほとんど音を立てず、高原を滑りおりて行くのだった。それがまたたまらない快感だった。

 しかし長野新幹線ときたら、ピュッとのぼって、ピュッとくだる。これでは軽井沢も全然ありがたくない。ただの観光地だ。

 長野は近くなった。便利になった。しかし「峠の向こうの長野」は消滅した。ただ平板な、東京と似たりよったりの地方都市がそこにはあった。







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