76 ナリヒラとジュディマリ

2001.5


 

 

 この時期、朝の電車の中はノートや教科書を広げた学生が目立つ。ちょうど中間試験の時期なのだ。こういう光景をみると昔も今も学生というものは、試験前には勉強するものだということが実感されてなんとなくほっとする。

 「え? なに? もういちど言ってよ。」「じゃあ言うよ。アリワラノナリヒラ。」「え? ジュディマリ?」「違うってば! アリワラノ。」「うん、アリワラノ。」「ナリヒラ。」「ナリシゲ? ナリヒト?」「ばか。ナ、リ、ヒ、ラ、だよ。」隣にすわっている二人の女子高生がえんえんとこんな会話をしている。どうやら今日は古文の試験で、六歌仙の名前を覚えているらしい。

 「アリワラノナリヒラ」がどうして「ジュディマリ」と聞こえるのか不思議だが、とにかく大まじめなところがほほえましい。こんな名前を必死に覚えるなんてことは、一生のうちで二度とないことだろうし、こんな会話を大まじめですることができるのも、今だけだろう。10年後の彼女たちは、男の浮気を青筋たててなじっているかもしれないし、いじわるな姑にネチネチ嫌味を言われているかもしれない。それを思うと感傷的になって、彼女らが永遠にこんな会話で時間をつぶせる女子高生でいられますようにと祈りたくなる。冗談じゃないわよ、こんなくだらない勉強なんかさっさとやめて、早く大人になりたいわよと、彼女たちは言うだろうが。

 それにしても、日常にないことばというのは、なかなか覚えられないものらしい。古典文法の授業では、必ず「ラ行変格活用」の動詞は「あり・をり・はべり・いますがり」ですと教える。この「いますがり」というのが変なことばなのだ。かなりの量の古典を読んでも、めったにこの「いますがり」にはお目にかからない。それなら教えなくてもいいのではないかと思うのだが、教科書には必ず載っているのでついつい教えてしまう。挙げ句の果てに試験にも出してしまうのだ。

 すると、混乱する生徒はトコトン混乱してしまって「おますがり」「なますがり」「はますがり」なんて書いてくる。ついでに「サ行変格活用」の「おはす」お書かせようとすると「おます」「ごわす」なんてことになってしまう。

 笑って同僚の教師に話すと、「おれたちだって、アフリカ人を何人も見たら区別がつかないだろ。それと同じだよ。」と言われた。なるほど、アフリカ人からすれば、「ナリヒラ」も「ジュディマリ」も一緒ってわけだ。妙に納得である。






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