74 数字が苦手

2001.5


 

 

  何が嫌いといって、数学ほど嫌いなものはなかった。嫌いというよりは、分からないと言った方がより実態に即している。いやそもそも、数学が嫌いなんて次元ではなく、要するに数字が分からないのだ。だから、学校の教科で言えば、数学はいうまでもなく、数字が出てくる教科はすべて文句なく不得意だった。物理、化学ももちろんだめ。文系でも歴史がだめだった。年代が数字で出てくるからである。車の免許をとるときも、オートバイは幅何センチ、高さ何センチまでの荷物を積んでもよいかなどという問題にはやはりつまずいた。(オートバイに乗らない人間にとっては、くだらない問題である)

 そういうわけだから、自分の車のナンバーを覚えるとか、他人の誕生日や電話番号を覚えるといったことは、大の苦手で、自分以外の人間の誕生日で自信を持って正確に言えるのは、妻と子供ぐらいのもので、死んだ父の誕生日はおろか命日も覚えられない。命日ぐらいにはちゃんとお線香をあげねばなどと思っていても、たいていは気がつくと過ぎている。命日を忘れても、親父は怒りはしないが、誕生日を忘れると家内は怒る。怒られてから、その日は必死に覚えているが、この場合覚えているとは、知っているということではなく、その日に誕生日だという自覚を持ってそれらしい行動をとるということである。「あっ、そういえば、昨日誕生日だったんだね。」と言っても、覚えていることにはならないのである。

 それはそうと、家内を見ていて、つくづく感心するのは、親戚でも友人でもない人の車のナンバーを知っていることであり、電話番号簿を見ずに電話をかけられることである。車に乗っていて、さっとすれ違った車が「○丁目の何々さんだ。」なんてつぶやいたり、引っ越したばかりの息子の家の電話番号を空でピッピッなんてやっている家内を見ると、思わずシゲシゲミ顔を見てしまう。

 どうもぼくの場合、数字が頭に定着しにくいようだ。だからもちん暗算ができない。とくにいけないのは引き算で、お釣りをもらう時は、いつもドキドキしてしまう。たとえば928円の買い物をしたとき、家内などは、さっと財布から1000円札と30円をを出して、最小限の釣り銭をもらうようにしている。そういうのはカッコいいから、自分でもやってみようとするのだが、なかなかうまくいかない。とんでもない複雑なお金の出し方をして、いつもレジの女の子をムッとさせてばかりいる。





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