7 あと10センチ

2000.2


 

 どう考えても、セミというのは不思議な虫である。10数日の地上の生活のために、6年、7年という長い地中生活がどうして必要なのだろうか。アメリカの周期ゼミなどは、13年あるいは17年という気の遠くなる月日である。

 セミの羽化は、都会に住んでいても割合にお目にかかるものだが、セミが卵からかえって幼虫になるところは見たことがない。セミはいったいどこに卵を生むのかとふと疑問に思って調べてみると、地中ではなく枯れ枝に産み付けるのだそうだ。卵からかえった幼虫は、地上に落ちて、「自主的」に地中に潜るのだという。ところが、幼虫の死亡率がこのときもっとも高く、地上に落ちたセミの幼虫の95パーセントはアリに食われて死亡するのだそうだ。アリはああ見えて、けっこう悪いやつなのだ。

 まさに九死に一生を得たセミの幼虫は、地中で木の根っこにしがみつき、ひたすら暗闇の中で樹液をチュウチュウと吸う生活。何の楽しみもない、忍の一字の生活である。その幼虫をまたしても、アリやモグラが襲う。キノコに寄生されることだってある。

 だから、気楽にミンミン鳴いているようでも、あのセミたちはセミの中の数少ない成功者なのだ。

 数年前の夏、庭いじりをしていて、ふと庭の片隅に伏せてあった植木鉢を手にして驚いた。なんと、植木鉢の底の穴に、セミの幼虫が頭をつっこんだまま死んでいたのだ。

 その植木鉢は、不要になって庭の隅にほっぽっておいたものだった。それがセミの命とりになろうとは。

 地中での艱難辛苦を乗り越えて、まさに苦節7年(あるいは苦節6年)。いよいよ、今日が晴れの日だ。幼虫は地上を目指す。土を元気に掘りすすみ、地上に出る。まだ暗い。夜明けを待つ。しかし、どうも変だ。確かに夜は明けたのに、薄暗い。頭上には、月のような丸い穴。何だか、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』みたいではないか。幼虫は、壁をよじ登る。後は、この穴をこじ開ければいい。と、そのとき、幼虫は焦る。な、なんだ、これは。うう、苦しい、この穴は、堅い。だめだ、出られない。どうして、どうして……。こうして、幼虫は羽化できずに息絶えた。

 長い苦労が報われる最後の瞬間に、よりによって、ぼくが伏せた鉢の真下に出てきてしまったセミ。セミがあと10センチ横に出てきたら、あるいは鉢があと10センチ横に置かれていたら、と考えてもむなしい。人生は時として、このように残酷なものだ。


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