63 ぼろもうけ

2001.2


 

 

 どうも根が貧乏性のせいか、少量のものが大量に変化するのを見ると、無条件にうれしくなってしまう。そうはいっても、株や競馬でおおもうけなんてことには縁がない。貧乏性は徹底していて、ギャンブルで1円でも損をするのはいやだから、宝くじさえ買ったことがない。ぼくが生きてきた半世紀で、ギャンブルに費やした金は、多分1000円を越えていない。つまらない男である。

 そういう金のことではなくて、たとえば、買ってきた豆を一晩水に浸けて置いた時の朝の「おおーっ!」っていうやつ。これはなかなか感動ものだ。だいたい倍になっていて、ものすごく得をした気分になる。そんなことを言えば、ご飯を炊くのだって、倍なんてもんじゃないから、ものすごく得をした気分になってもよさそうなものだが、そんなこともない。たぶん慣れだろう。

 ポップコーンも、店で買うとそうでもないが、自分で作ってみると感動する。あれは十倍にはなる。

 最近テレビで見て、びっくりしたのは、マシュマロを電子レンジに入れると、ものすごく大きくなるという実験。しかし、これはすぐにパリパリになってしまって、おいしくなさそうだ。

 そこで、いよいよ本命登場。信じられないほど量がふえて、しかもおいしいもの、それは、綿菓子である。これは、お祭りなんかで買うときも、ちょっと覗けば、その実態を把握できるけれど、実際に自分で作ってみると、それはもうしみじみ感動してしまう。

 ただの砂糖を、あんな蜘蛛の糸みたいな細い繊維にして、それを棒に巻き付けるなんてことを、いったい誰が考えついたのだろう。まことに偉大な発明である。

 その昔、大学祭で映画の上映をやったとき、資金稼ぎのために綿菓子屋をやったことがあるのだが、これが本当にもうかった。なにしろ、ひとつの綿菓子を作るのに、小さいスプーン一杯のザラメでいいのだ。そいつを機械の中央の穴に入れると、もう出るわ出るわ、十倍二十倍の世界ではない。百倍千倍の世界である。

 そんなことがあったから、綿菓子屋を見ると、こいつ儲けてるなあと、いつもうらやましくなってしまう。商売やるならこうでなくちゃって思う。ちょっとの元手でぼろもうけ。ほかに何かないだろうか。

 まてよ、ひょっとして教師というのも、綿菓子屋に近いかも知れない。わずかな知識を、何倍にも見せかけて商売をしているのかもしれない。それに、ぼろもうけといっても、たかが知れているという点まで似ている。








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