59 与作

2001.1


 

 

 今はカラオケボックス全盛の時代だが、一昔前は、カラオケなんて下品なものではなく、ピアノの生伴奏で歌わせてくれる店があった。都心の高校に勤めていたころ、仲間の教師たちと新宿のそういう店に行ったことがある。

 教師は声を使う職業であるからか、歌のうまい人が多い。もちろんへたな人もいるが、集団となると、そのレベルはかなり高いものになる。そんじょそこらのオヤジ軍団とはひと味もふた味も違う。

 そういう自負もあって、その店でも、ぼくら教師仲間は(3人だったように思う)、次々にステージに出て歌いまくり、得意になっていた。その日は、とびきりうまい人ばかりが揃っていたのだ。

 ぼく自身も、かなりのレベルにあると勝手に自負していた。特に、北島三郎や渥美二郎などの、小節のよくまわる演歌は、自分で言うのもナンだが、得意中の得意なのだ。実際にカラオケで歌っていても、コロコロ小節の回る人にはそうそうお目にかかるものではない。

 さんざん歌ったぼくらは、もう上機嫌、酒のピッチも一段とあがっていた。他のお客も多い結構大きな店なのに、ぼくらが歌った後には、けおされてしまったらしく、なかなか歌う人がでない。そういう雰囲気もまんざら悪くないものだ。

 しばらく静かな時間が続き、それじゃあ、また歌おうかなんて言っていると、さっきからぼくらの隣のボックスに座って中年の男とボソボソ話をしていたジイサンが、よっこらしょという感じで立ち上がり、ステージに出ていった。司会者がそのジイサンの曲を紹介した。「次は、北島三郎の『与作』です。」

 何?「与作」? ジイサンらしいや、うまく歌ってよ、なんて意地悪くひやかすような気分で、とんでもない調子っぱずれの「与作」を待った。「与作」は易しいようで難しい歌だ。あんなジイサンにうまく歌えるはずがない。

 歌がはじまった。「与作は〜木を〜切る〜」いい声で、うまいが、まあこんなもんだろうと思っているうち、サビの所にきた。「よさく〜、よ〜さぁ〜くう〜」

 仰天した。

 何という、のびのある声。なんという精妙な小節。目の前に、大森林で木をきる与作の姿が浮かび、森閑とした空気の中にこだまする斧の音が聞こえる。こんな「与作」は後にも先にも聞いたことがない。北島三郎も遙かに及ばない。

 歌い終わって、ひょこひょこと席にもどったジイサンに、ぼくらは拍手喝采、最敬礼した。そして、ぼくらはその店で、二度と歌えなかった。











Home | Index | back | Next