58 紅梅キャラメル

2001.1


 

 

  ぼくのエッセイを読んだ友人が、「君はよく昔のこと覚えているけど、あれ書いているうちにだんだん思い出してくるの?」なんてメールをくれたが、改めて考えてみるとどうもそういうことが起きているらしい。

 ぼくはもともと記憶力がない、と言っては言い過ぎだが、そう言いたくなるくらい、物覚えが悪い。心ある生徒は、ぼくに名前を覚えてもらうことをとっくに諦めている(はずだ)。それなのに、昔のことが、ときどきやけに鮮明に思い出されてくる。ぼけもそうとう進行しているというところだろうか。

 ところで、ぼくが小学生のころ、「紅梅キャラメル」というキャラメルがあった。工場だったのか、それとも会社の本社だったかのか、大きな建物が家の近くにあったような気がするので、たぶん横浜中心に販売していたキャラメルだったのだろうと思う。それとも、東京あたりまで販売ルートがあったのだろうか。全国規模の商品なのか、その土地だけのものなのかの区別は子供にはできない。パンと言えば「カモメパン」だったが、どうもこれも横浜だけのものだったようだ。

 もちろんキャラメルは「紅梅キャラメル」だけだったわけではない。黄色い箱の森永のミルクキャラメルもすでにあったはずだが、「紅梅キャラメル」はなかなかの人気だった。赤と白をつかったキャラメルの箱のデザインは、いかにも安っぽかったし、味のほうも、水で薄めたシロップみたいな、ハカナゲな味がした。味ばかりでなく、アメの外見も、茶色なのだがちょっと透明で、いかにもみすぼらしかった。

 それでもぼくらが「紅梅キャラメル」ばっかり買ったのは、オマケのためだった。オマケといっても、箱の中に点数を書いた紙みたいなのが入っていて、それをためると、その点数に応じて、けっこう豪華な景品がもらえるという仕組みになっていた。その最高の景品が、カメラだった。

 昭和30年代のことだが、子供向きのカメラがちゃんとあったのである。エボニーカメラと言って、35ミリフィルム用、固定焦点の一枚レンズ、ただシャッターを押すだけの単純なボックス型のカメラだった。

 子供にとってカメラなんて夢のような贅沢品の時代。そのカメラほしさに、小遣いはたいてハカナゲな味の「紅梅キャラメル」をペチャペチャ舐めつづけたのだが、なかなか点数はたまらず、結局、親にねだってそのカメラを買ってもらってしまった。幼い頃から、ねばり強さに欠けるぼくであった。











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