52 上品への道

2000.12


 

 

 下品なものとして、兼好法師は、とにかく「多い」ということを挙げている。リビングに家具・道具がやたら多いのとか、庭に石や草が多いの、家の中に子供や孫が多いの、そして話し相手の口数が多いのなどを列挙している。多くて下品でないのは、ゴミ箱のゴミだけだなんて言っている。ほとんど悪態である。(徒然草72段「いやしげなるもの」)

 それが何であれ、好きになったものは、たくさん集めたいと誰でも思う。プリクラにはまれば、できるだけたくさんのプリクラを手帳に貼りたい。ケータイに入れるオトモダチの番号も多いほどいい。500人メモリーに入れてるなんてザラらしい。

 その昔、ぼくが昆虫採集に熱中していたころも、とにかくたくさんの標本を作ることに没頭していた。ニジュウヤホシテントウというテントウムシの一種があって、これは害虫だからというので、大量に捕獲して大量の標本を作って生物部の先輩に叱られたこともある。「下品だ」とその先輩が言ったわけではないが、いくら害虫でもそんなに殺すなって言われたように思う。それ以来、ぼくの標本箱はいくらか「つつましげ」になった。

 最近、今まで録画してきた映画のビデオテープがあまりに多くて、しかもそのほとんどを見ないので、さしあたって200本ほどを処分することにした。本棚に何重にもして収納してあったそのテープを種分けするために、畳の部屋に並べた様を見て、家内が「何なの、この量は!」と悲鳴をあげた。無理もない。畳の上に並べられた大量のビデオテープは、何か押収物のようなエゲツナサを漂わせていて、どうみても「下品」としか言いようがない。映画の名作ぞろいなのに、やはり「下品」なのだ。

 収集欲というのは、人間の欲望の中でも、かなり激しいもので、骨董の収集から、下着泥棒に至るまで、その欲望に取り憑かれると行き着く先は「下品」である。盗んできた下着がぎっしりつまったタンスの引き出しが「下品」なら、床の間に所狭しと並べられた大量の陶器の置物だって「下品」なのだ。

 どんなに好きなものでも、「ちょっとしたコレクション」にとどめること。切手が好きでも、とことん集めたりせず、5〜6枚の美しい切手をときどき愛でる程度にすること。フクロウの人形が好きでも、世界中のフクロウを集めてやれなんて野心を起こさないこと。それこそ、上品への道であろう。

 すぐに下品に傾くぼくにとっては、はなはだ困難な道ではあるのだが。








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