48 回転寿司
2000.11
回転寿司というものを食べたことがない。どうしても食べる気にならないのである。
いいかげんな性格のくせに、妙に潔癖なところがあって、回転寿司というものをイメージすると、自分の所に来るスシは、何周かしている間に、きっとだれかが迷い箸なんかをして、箸をちょっとつけてしまっていないとも限らないではないか、そんな汚いものは絶対食えないって思ってしまうのだ。
そんなことはないよ、今の回転寿司っていうのは、注文で握ってくれるんだ、回っているやつはディスプレーに過ぎないんだと、親切に教えてくれる人もいるが、そんなら、回転寿司にわざわざいかなくてもいいじゃないかって思うのだ。もちろん、安いという理由もあるのだろうが、それはまた別の話だ。
他にも理由がある。そもそも、食べ物というものは、ぐるぐる回ったりするものではないんじゃないか。食べ物の周りを人間がぐるぐる回るということは古来あったことだろう。ブタを丸焼きにした周りで、裸の人間が踊りながら回るという光景もテレビで見たような気がする。しかし、すわった人間の周りを、食べ物だけが、ぐるぐる回るという光景は、有史以来初めての光景ではなかろうか。
どうも、それが、気味が悪い、というか、あってはならない光景に思えるわけだ。それは、牛舎とか鶏小屋を連想させる。柵の中に閉じ込められて首だけ出した牛や鶏の前を、ベルトコンベアに載ったエサが流れていく、そんな光景だ。
流しソーメンというのもあるじゃないかと言う人がいるかも知れない。しかし、あれは、直線的な流れなので、潔い。目の前を通過したソーメンがもういちど上流に戻ってもう一回流れて来るということは(たぶん)ない。諸行無常を感じさせる美しさがある。と言っても、やはりぼくは、上流で人の箸がつかみそこねたソーメンは嫌だから、流しソーメンも食べたことはないのだが。
とにかく、目の前にしっかりと動かないモノを、落ち着いて食べたいということなのだ。落ち着いてと言っても、何時間も食べ物の前にへばりついて、ということではない。右前方1メートルに近づいたマグロのトロを、さあ、あれがここへ来たら食べようなんて思って、さもしい目つきで追いかけていると、隣のヤツが、サッと取ってしまってガッカリなんてことを、食事中にしたくないということなのだ。
目まぐるしい世の中、せめて食べ物ぐらいは、一つ所にじっとしていてもらいたいものである。
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