45 何があっても子は育つ

2000.11


 

 幼児教育の大切さということが何十年も前から叫ばれ続け、3歳までにその子の一生が決まるだの、いやいやそれでは遅い、胎教が大事だのいろいろなことが言われ続けている。そのくせ、こういう音楽を聴かせたから、こういう立派な青年になりましたとか、こういう本を読ませなかったので、こんなひどい人間ができましたなんていう事例はめったにない。あるとしたら、とんでもない事件を起こした極悪非道の人間とか、イチローみたいな天才的なスポーツ選手の例が語られるばかり。ほとんどの人間は、事件など起こさず、プロ野球選手にもなれずに、平々凡々たる人生を終えるわけだから、もうすこし、普通の人間の事例がほしいところだ。

 たとえば、小さい頃からクラッシック音楽ばかり聴かせて育てた子供と、浪曲ばっかり聞かせて育てた子供ではどう違うか。おそらく違いはあるのだろうが、これですって言って示せるような具体的な例はないだろう。(一度実験してみたい気もするが)

 ぼくなんかは、浪曲ばっかり聴いて育った人間だが、だからどうだと言われてもこまる。人生観が浪花節になっているとも思えない。(多少なってるか?)演歌を歌うとやけに小節が回るというような影響ぐらいしかないように思う。それが浪曲の変わりにモーツァルトだったら、どうだったか。演歌を歌ってもどうもオペラ調になってしまうぐらいのところだろう。それとも、女の尻ばかり追いかけ回す下品な男、あるいは、天使のように純真な男になっていただろうか。

 いずれにせよ、いくら赤ん坊が暇だといっても、音楽ばかり聴いて一日を過ごすわけでもなし、せっかくモーツァルトを聴いて赤ん坊なりに高尚な気分になっても、その後に焼き芋屋のオジサンのダミ声が聞こえてきてしまうかも知れない。心洗われるような童話を読み聞かせてもらっても、そのすぐあとに、亭主に文句いう女房の汚い言葉を耳にしなければならないかも知れない。

 それがいけないと言っているわけではない。焼き芋屋のダミ声が聞こえるからこそ日本なのであり、女房にののしられるからこそ亭主なのである。たかが1歳や2歳の赤ん坊のために、焼き芋屋がモーツァルトの節で歌ったり、女房が歯の浮くようなホステスなみのお世辞を亭主に向かって並べるような世の中になるわけがないのである。

 世界がどんなにひどくても、子供は育つ。そうでなければ人類はとっくの昔に滅びている。






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