44 後のオジヤ

2000.10


 

 下関のフグとか、明石の鯛とか、佐賀関のセキアジ・セキサバとか、世に知られたウマイ魚というものがあるらしいが、とんと口にした覚えがない。そもそもフグというものを、まともに食べたことすらない。

 たった一度だけ、フグをたらふく食べられるチャンスがあった。家内の実家で忘年会をやるというようなことがあって、近くの店からフグを取り寄せて、盛大にフグチリを食べるということになったのである。

 それまでフグを食べなかったのは、別に貧乏だったからというわけではなく、何となく「アブナイ」と思っていただけのことである。しかし、この「何となくアブナイ」という感覚は、僕にとっては結構大きなウエイトを占めていて、このおかげでぼくはいまだに飛行機に乗ったこともない。

 しかしその日は一族郎党うちそろってふぐを食べるわけだから、死なばもろともである。まさに千載一遇のチャンス到来だった。ところが、そのフグを食べるという日の数日前から、風邪をひいた。それが腹にくるやつで、まったく食欲がなくなってしまった。結局当日になっても風邪は治らず、ぼくは部屋の片隅でぐったり横たわり、みんなが大はしゃぎでフグチリをつつくのを眺めるばかりという、まことに情けない始末になった。これなら食べられるでしょうと、後のオジヤを出されたが、ちっともうまくなんかなかった。

 フグチリの後のオジヤが最高などと人はいうが、そもそも鍋のあとのオジヤなんていうものは、鍋をつついた当人だから食べられるものであって、鍋を一度もつついたことのない人間が、さんざん人のつついた鍋の残り汁で作ったオジヤをウマイウマイと食べられるわけがない。ワイワイ鍋を囲んで楽しんだ一体感があればこそ、人のハシがつついたから汚いなんて感覚もなくなってしまうのだ。

 何でもそうだが、特に食事はイキオイである。その場でその気になってしまえば何でもウマイ。まずいものでもうまいものに変わる。普段ならとうてい口に入れる気にもならないものまで、イキオイで食ってしまう。酒が入っていればなおさらである。

 ナマコを最初に食べたヤツは偉いなんていうが、あれだって、その場のイキオイで食べてしまっただけのことだろう。納豆だって、クサヤだって、みんなイキオイで食べてしまったのだ。こと食べ物にかんしては、偉いヤツなんてどこにもいないのである。








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