4 電車がこわい

2000.1


 

 「鳴り物入り」で運び込まれたわりには、あっけなく病院から放免されて、その日は無事家にたどり着いたのだが、さて翌日から困った事態が生じた。電車に乗るのがこわくなったのである。電車の中で、再びあのような発作が起きたらどうしようと思うだけで、もう心臓のあたりがヒンヤリしてくるのだ。それでも、学校へ行くときはなんとかなった。問題は、帰りの電車である。電車が日吉駅に近づくと、決まって胸のあたりが息苦しくなってくる。冷や汗三斗で、日吉駅を通過。不思議なことに、日吉駅を過ぎてしまうとスッと症状がなくなるのだ。

 そういう日々が何日も続いた。「日吉駅恐怖症」とでもいうべきこの症状をどうしたら直すことができるのか、さんざん考えた末、日吉駅を通らなければいいのだとハタと気づき、発作から数週間後、とうとう通勤経路を変更した。

 日吉駅のある東横線をやめて、東海道線を使うことにしたのだ。しかし東海道線は駅と駅の間隔が長く、もし発作が起きたとき、すぐに電車を降りることができないという難点がある。それでしばらくは東海道線と併走する京浜東北線を使った。発作そのものは起きなくても、「起きそうだ」と意識されたらもうおしまい。特に帰りの電車は依然として鬼門で、新橋から乗っても、途中の鶴見駅で降りてしまったり、いやもう家に帰るのにも四苦八苦の毎日。

 かかりつけの医者の診断では「発作性頻脈」というもので、「この病気では絶対死なない」とお墨付きまでくれたのだが、「死にそう」な気がすることに変わりはなかった。「そういう時は、いつでも電話をください。電話口で脈を数えるだけでも、気持ちが落ち着きますから。」そう医者はいい、脈を遅くする薬も処方してくれた。そんな言葉に甘えて、とんでもない時間に何度電話したかしれない。薬も片時もはなさず持ち歩き、ちょっとでも兆候があると服用していたので、しまいには水なしでも簡単に薬を飲めるまでに熟練してしまった。

 その薬を持たなくても外出できるようになるまで、5〜6年はかかったように思う。それでも、学校を休むようなことはなくて済んだ。医者の話によると、この病気のために電車にまったく乗れなくなり、休職する人までいるという。

 最初の発作は「発作性頻脈」だったのだろうが、あとは一種の不安神経症だったのだろう。電車通勤が怖いなんて普通の人には信じられないだろうが、人間の心はなかなか奥の深いものなのである。


Home | Index | back | Next