3 生きてる! 生きてる!

2000.1


 

 救急車に乗ったことが2度ある。

 1度目は大学生の頃。友人と奈良へ旅行中、友人の一人が夜になって突然40度近い高熱を発し、あわてたぼくらは旅館の人に救急車を呼んでもらった。その付き添いで乗ったのである。真夜中の奈良の町のこととて、サイレンなど必要ないのに、運転手が面白がって冗談半分にサイレンを鳴らしていたような記憶がある。病院で友人はびっくりするほど太い注射を打たれ、あっという間に熱が下がった。ありがたいものだと思った。

 2度目はぼくが一人で乗った。今からもう20年ほど前のことだ。都立高校に勤めていたぼくは東横線を使っていたのだが、学校の帰り、その東横線の電車が日吉近くにさしかかったとき、突然赤ん坊が泣き出した。その声にハッとした瞬間、心臓がスッと冷たくなる感じがして、息が苦しくなり動悸がし始めた。そんな経験がなかったぼくは、とっさに数週間前に通勤途中の駅で倒れて急死した同僚の先生のことが頭に浮かび、「こんどはぼくの番か……」と思ってしまった。

 そうなるともう動悸は激しくなるばかり。あまりの苦しさと不安に、ぼくは思わず停車した日吉の駅で降り、駅長室に駆け込んだ。ソファーに座らせてもらい、水をもらって飲んだが動悸はおさまらない。手足の先がしびれてくる。「救急車を呼んでください」とかすれた声でぼくは頼んだ。

 ほんとうに救急車が来た。ぼくは担架に乗せられて、人混みの中、救急車につみこまれた。今度は冗談抜きのサイレンである。隊員の人は「大丈夫。死なないから。」などと励ましてくれる。無線で、どこの病院がいいかなど問い合わせる声も聞こえる。「○○外科ですね」なんて言っている。おいおい外科じゃないだろ、と思いつつも、この際贅沢はいえない。

 すぐに病院についた。けたたましく停まった救急車から、担架に乗せられたままのぼくが運び出される。そのとき、ぼくの目に入ったのは、病院の向かいのビルの2階の窓に鈴なりになって下を見ている進学塾の子供たちだった。

「あっ、生きてる! 生きてる!」

「ほんとだ! 動いてる!」と子供たちが口々に叫んだ。

 そうだよ、死んでなんかいないぞ。おれは生きてるんだ。

 外科の先生は、「昨日、徹マンでもしたんじゃないの?」などと言いながら、注射を打ってくれた。そんな覚えはなかったが、とにかく死ぬことはないよと言われて、ほっとした。しかし、本当に大変だったのはその後だった。


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