35  ただ行かなかっただけ

2000.8


 

 最近の結婚式のスピーチでは、若い友人が新郎の「旧悪」を暴露するなんてことがはやっているようだが、職場の上司、ましてや主賓の挨拶で、新郎・新婦の悪口を言うということはまず考えられないことである。

 それなのに、ぼくの結婚式では、主賓だった当時の勤務校の校長が、ぼくの「悪口」を言ったのだ。

 ぼくが結婚したのは、就職して1年経った春で、しかも4月1日という、まあ普通ならあんまり式を挙げたくない日だったのだが、その日、校長はこんなことを言った。

 「山本さんは、私が高血圧で入院したとき、お見舞いに来なかった唯一人の先生でして……」こういうことをどうして言ったのか、その話の前後関係は何だったのか、今となってはまったく不明なのだが、この言葉は強烈にぼくの頭に残っている。

 その言葉を聞いて本当にびっくりしたのである。そういうことをスピーチで言う人がいるということに対してではない。そうではなくて、校長が入院したとき、学校の教師の全員が(もちろんぼくを除いてだが)お見舞いに行ったという事実に対してである。「へえー、そうだったのか。」と新郎席のぼくは何度も心の中で繰り返していた。

 だからぼくはその時、校長が言ったことがぼくに対する一種の「悪口」になるということにすら気づかなかった。「へえー、あのとき、みんな行ったんだ。へえー。」それしかなかった。

 確かに校長は高血圧で入院した。しかし脳出血でも脳血栓でもない。父も祖父もみんな高血圧だが入院なんてしなかった、まあ校長だから大事をとったんだろうぐらいにしか思わなかったから、お見舞いに行ってきたよなどという話を聞いても、そのうち誰かと行こうなんて思っているうちに、校長は退院してしまったのだ。それだけのことだった。

 ぼくは「悪口」と思わなかったけれど、次に挨拶した数学の塾の先生がこう言った。「先ほどは、校長先生が、山本君がお見舞いに行かなかったということをおっしゃっていましたが、山本君は実に不思議な人でして、私は長いこと数学を教えてきましたが、彼は、問題が解けなくてもくやしがらない、解けてもたいして喜ばない、いつでも淡々としているのです。ですから、お見舞いに行かなかったのも、何か思うところがあって行かなかったのではなく、ただ行かなかっただけなのだと、私は思います。」

 「ただ行かなかっただけ」この言葉も、ぼくの中に、複雑な余韻を残しつつ、いまでも響いている。





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