32  大蛇も疲れる

2000.8


 

 東京五反田のマンションのベランダで、79歳のおばあさんが、突然大蛇に襲われたという事件がつい先日あった。新聞ではその記事を見かけなかったが、テレビではかなり大きく取り上げていて、そのおばあさんが登場していた。そのおばあさんの話が何ともおもしろかった。

 何でも朝ベランダに出ると、柔らかいものを踏んだような気がして、足首がチクンとした。何だろうと思って、ズボンの裾をまくり上げてみると、大きな蛇が噛みついていた。「その蛇が、どんどん足に巻き付いてくるのよ。もう、びっくりしちゃって、オトウサン助けて下さいって言いながら、部屋の中に入ったんだけどね……」このおばあさんは一人暮らしで、ご主人はすでに亡くなっているのだが、鴨居に飾ってある遺影に向かって助けを求めたのだ。

 蛇を足に巻き付けたまま、外に出た。その蛇というのは体長3メートル、胴回り20センチのまさに大蛇で、中南米に生息する「ボア・コンストリクター」という蛇。同じマンションの住人が飼っていたのが逃げ出したという。幸い毒蛇ではなかったのだが、力が強く、どんどん足を締め付けてくる。助けを求める声を聞いて、近くの人が集まってきたが、どうすることも出来ない。何しろ、体長3メートルもある大蛇が足にぐるぐる巻きになっている老婆である。誰だって近づきたくない。「私を見たら、みんな後ずさりしちゃってさあ。そのうち誰かが、棒を持ってきて蛇を突っつこうとするから、わたしゃ言ったのさ。そんなことしたら蛇がますます怒って締め付けるからやめとくれって。」

 気丈なおばあさんである。警官も来たが手が出せない。そのまま、1時間が過ぎた。こう書けば簡単だが、いったいその1時間はどんな風に過ぎたのだろう。東京のど真ん中で、大蛇に巻き付かれたおばあさん、それを取り巻き、ただ見ているしかない人々。普通なら、そうなる前におばあさんが気絶している。少なくともアメリカ映画なら間違いなく気絶である。

 で、実際はどうなったか。1時間もすると、だんだん蛇が疲れてきて、巻き付くのをやめて足から離れたというのだ。そのまま逃走した蛇を警官が5時間後にようやく捕まえたという。

 大蛇も疲れるのである。確かに、若い女性ならともかく、老婆の足にずっとしがみついていても、何の利益もない。

 足首に包帯を巻いたおばあさんは、「これが子供だったら死んでたよ。」と、歯切れのいい東京弁で言い放った。

 





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