31  べとべとぬらぬら

2000.7


 

 寒い冬には、Tシャツ一枚でいられる夏が恋しいし、猛暑の夏には、ストーブの火が懐かしい。古来日本では、春秋の争いといって、春がいいか秋がいいかと、歌人などを中心に論争してきた。しかし、夏冬の争いはなかったようだ。夏や冬は論外だったのだろう。クーラーもガスストーブもなかった昔の日本人にとっては、どちらも過酷な季節だったに違いない。

 では、クーラーもガスストーブも完備した家に住んでいる日本人は、快適な冬と夏を送っているかというと、そんなこともない。とくに今年のような猛暑になると、ほとんど日本人として生まれてきたことを呪いたくなる。夏の暑さもさることながら、どうにも我慢できないのが、湿気であることが最近つくづく実感される。

 谷崎潤一郎は、『恋愛及び色情』という変な題名のエッセイで、次のように述べている。

あまり乾燥しすぎた土地も健康のためにどうか分らぬが、性欲に限らず、たとえば脂ッこい食物や強烈な酒に飽満した時など、すべてあくどい歓楽の後では、すうッと上せの下るような清々しい空気に触れ、きれいに澄み切った青空を仰いでこそ、肉体の疲労も恢復し、頭脳も再び冴えるのである。

 ところが日本では、「冬でも空気がじめじめしていて、南風の吹く日などはべとべとした汐風のために顔がぬらぬらと脂汗を湧かして、頭痛のするようなことが珍しくない。」と書く。文豪にしてはやたら「じめじめ」「べとべと」「ぬらぬら」などという俗な言葉を多用しているが、よほど湿気がイヤだったのだろう。

 そこへ行くとフランスなんかは、「真夏の酷熱の際といえども汗がひとりでに乾いてしまって、決して肌がべたつかないというではないか。そんな土地でこそ飽くなき性欲に耽ることも出来るが、じっとしていても頭痛がしたりひだるかったりするのでは、とても毒々しい遊びは思いも寄らない。」なんて言ってる。

 「毒々しい遊び」なんて無理してすることもないと思うが、確かに外国映画のベッドシーンでは、コトの後、たいていは裸のまま二人でシーツにくるまって、余韻を楽しんだりしている。きっと「汗がひとりでに乾いてしまう」からなんだろう。まあしかし、そういう「あくどい歓楽」は欧米人にまかせておこう。日本人としては、

市中はものの匂ひや夏の月  凡兆
あつしあつしと門々の声   芭蕉

こういう暑さもそれなりに楽しんでしまうような風流な世界に、ひとときのやすらぎを求めたいものである。

 





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