29 子猫はなぜかわいいのか

2000.7


 

 隣家の庭に猫が住み着き、子供を産んでしまったことがある。母猫は黒猫なのだが、子猫は、トラとミケとブチの3種類。みんなかわいい。家内は、早くいなくなってくれないと飼いたくなってしまうから困ると言っていたが、それほど猫好きではないぼくも、思わずカメラを向けてしまうほどだった。

 しかし、なぜ子猫はかわいいのだろうか。猫ばかりではない、なぜ子供はかわいいのか。イヌもサルもトラも……と考えて、だいたいかわいいのは哺乳類、あるいはせいぜい鳥類ぐらいまでであることに気づいた。

 哺乳類はまず文句なくかわいい。生まれたてのハツカネズミなんて、携帯のストラップにしたいくらいかわいい。しかし鳥類となると、あのカルガモなどは非常にかわいいが、例えばタカのヒナが、ハゲたおやじみたいなデカイ図体で親に餌をねだっている姿など、決してかわいいという部類には入らない。これが昆虫になると、趣味にもよるが、蝶や蛾の幼虫、つまり芋虫・毛虫のたぐいは、むしろグロテスクである。つまり、おおざっぱに言えば、「育てられる」ことを必要とするものほど、かわいいということになる。人間などは、そのさいたるものだ。

 子猫は圧倒的にかわいい。だから人間でも拾って育てたくなる。親猫にしても同じことだろう。なめ回したくなるほどかわいいに違いないのだ。それがもし逆だったらどうだろう。子猫が醜く、年をとるに従ってかわいくなっていくとしたらどうだろう。人間は子猫を拾いたくもならないだろう。万一拾って飼ってしまっても、死ぬまぎわが一番かわいいさかりということになってしまって、神経が持たない。

 人間が老いるとともに、シワが増え、変なニオイを発し、醜くなっていくのは、それなりに意味のあることなのだ。老いて醜くなっていくからこそ、人はその人の死を受け入れることができ、あきらめることができる。あきらめることが出来れば、残された者は新しい出発をすることも可能になる。

 親がいつまでも若々しく、はなやかで、いやそればかりか赤ん坊のようにかわいくてならなかったら、どうして子供は親から離れて、自立できるだろうか。

 老人は、醜くなることで静かに次の世代から離れていく。自らを見捨てさせるのだ。その覚悟があるとき、はじめて老人は老人としての特有の美しさを獲得するはずだ。それは若い女の子が老人に向かって連発する「カワイイ」とはまったく別の「美しさ」なのである。





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