25 スッと消える
2000.6
犬や猫にも表情があることはもちろんだが、モノにも表情がある。長年使い慣れたテーブルや椅子といった家具から、ちょっとした文房具まで、実に豊かな表情をもっている。
特にモノの表情が感じられるのは、モノがなくなるときだ。モノがなくなる直前、何となくこちらをチラリと見る。そして、スッと消える。ゴキブリが見つかると、こちらをチラッと見てから、ちょっと慌てて、そそくさと家具の後ろに隠れるのとどこか似ている。モノはこちらの注意をちょっと引いておいて、その注意が注意になるかならないうちに、隠れる。まるで、かくれんぼのように。
先日も買ったばかりのシャープペンシルが、そのようにして消えた。いつでも上の空のぼくは、鉛筆でもボールペンでも、いつも胸ポケットに挿しておきたいのだが、それを使うとすぐにそこに置いてきてしまう。だから、いざというときに、筆記用具がなくてイライラする。それで、少し高価なシャープペンシルを購入し、その高級さで自分のシャープペンシルに対する意識を高めようと思ったわけだ。そうすれば、いつも胸にシャープペンシルということになる。
しかし、やはり消えた。どこへ行ったか分からない。机の上、引き出し、ポケットの中、ありとあらゆるところを一週間探したが出てこない。
諦めたころに出てくるというのがこういう場合の常だが、それも考えてみれば不思議なことだ。隠れているモノが、イライラしてくるのだろうか。いい加減見つけてよといって、向こうから出てきてしまうのだろうか。
探しはじめて一週間目、その日は何となく出てきそうな予感があった。教員室のぼくの机を眺めながら、もう一度念のため目の前にある辞書を動かしてみた。今まで何度も動かして探したはずなのだが、何となく気になったのだ。
辞書を取り出したとき、その辞書とレターボックスの間の隙間から、シャープペンシルの顔がチラリと見えた。「あっ、見つかった」と言って、ふっと笑ったように見えた。その時、一週間前、ここに隠れるよといってその辞書とレターボックスの隙間に逃げていくシャープペンシルの後ろ姿がよみがえった。あ、そうか、あの時、ここに落ちたんだな。そして、多分、あ、消えたと思ったか思わないかのうちに、ぼくは誰かに声をかけられ、振り返った瞬間に忘れてしまったんだ。
何だ、こんな所にいたのか、思わずそう声に出し、ポケットにさした。ちょっと嬉しい再会だった。
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