24 「もう飽きた」

2000.6


 

 

 これでも都立高校にいたときは、女子生徒にけっこうもてた。特に入学したての生徒というのは、物珍しさからか、やたらと追っかけてくる子たちがいるものだ。

 そういう三人組がいた。いつでもどこでも一緒。トイレに行くときだって連れ立って行きかねない典型的な仲良しグループで、入学してすぐの合宿にバスで行ったときも、一緒に写真をとってくれだの、お菓子を持ってきたから食べてくださいだの言ってはキャアキャアワイワイ楽しくやっていた。いくらもてると言っても、教師は所詮サシミのツマか、よくて酒のサカナである。それが分かっていても、悪い気持ちがしないのは、まあ男のサガというものだろうか。

 そんな三人組も高校三年になって、ぼくも授業を受け持たなくなり、しばらく学校でも顔を合わせない日が続いたある日、たまたまその三人と階段の踊り場ですれ違った。そのうちの一人が、「あ、ヨウゾウ先生だ。キャー。」と昔のノリでおどけて言って、胸の所に片手を挙げて、小さく振った。昔みたいに大声を上げたりしないだけ、成長のあとが見える。そうかまだ忘れてないんだ。かわいいなあって思った次の瞬間、もう一人が言い放った。「ああ、ヨウゾウか、もう飽きた。」

 ぞっとするような、冷たい声だった。顔を見ると、笑みひとつない無表情である。可愛げのかけらもない。心の奥まで冷えわたるようだった。

 教師は生徒を知らず知らずのうちに傷つけていることがある。30年も教師をやっていれば、手をついてあやまりたいことは一つや二つではない。しかし、その逆に生徒から深く傷つけられることもあるのだ。教師と生徒、どちらも人間である以上、それは避けられないことなのだろう。

 「もう飽きた」と言った生徒は、その後有名私立大学に合格したが、それでも飽き足らず翌年東大を受験して合格し、卒業後何年もしないうちに、どこかの省庁で大抜擢があったとかで、新聞に顔写真入りで載ったことがある。エリート中のエリートといっていいのだろう。しかし、その写真を見ながら、この子は、これまで一体何人の人間に向かって「ああ、もう飽きた」と言い放ってきたことだろうと思わずため息ついた。

 それから10年以上の月日が流れたが、彼女はまだ淋しいエリートのままなのだろうか、それともどこかで挫折を経験し、人の心の暖かさをしみじみありがたく感じるようになっただろうか、そんなことがふと気になることがある。



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