23 「マニカラー」の奇跡

2000.6


 

 東京教育大学を受験することにしたのは、何よりも首都圏の国立大学で数学の配点がもっとも低い大学だったからである。文科系の場合、東京大学だと数学の配点は5分の1なのに、教育大だと8分の1なのである。数学のダメさ加減はクラスで1、2を争うほどだったが、これならひょっとして何とかなるのではないかと思った。それに理科は生物が得意だったので、心配ない。数学をせめて半分でもとれれば受かるかも知れない。しかし担任の評価は「まあ五分五分」と言ったところ。1回だけ受けた旺文社の11月の模擬試験の結果ときたら、4パーセント以下の合格可能性。「絶対無理」と言われているようなものだった。

 当時は試験は2日に分けて行われ、その2日目には生物の試験があった。初日の試験を終えたぼくは、横浜伊勢佐木町の有隣堂という書店に何となく立ち寄った。文房具売り場をぶらついていると、「マニカラー」という新製品の色鉛筆がおいてある。黒くて太い胴体に細長くくり抜かれた溝があり、そこに1センチほどに切り揃えられたさまざまな色の芯が収納されていて、その芯を一本ずつ取り出して胴体の先端につけて使うという代物である。これ一本で、いろいろな色が塗れるというわけだ。新しもの好きのぼくは思わずそれを買ってしまった。

 家に帰っても、とりたててやることもない。所在なさに、さっき買った「マニカラー」をカバンから取り出して、芯をいろいろ取り替えて遊んでいるうちに、実際に塗ってみたくなった。何か塗るモノはないかと探しても、机の上にはあしたの試験の教科書しか置いてない。

 生物の教科書を手にとってパラパラとめくっていると、カエルの卵割の図が目に付いた。円がいくつかのブロックに分割されていて、将来そこがカエルの内臓になるとか、頭になるとかいうヤツである。これこそお誂え向きというものだ。芯を取り替えては、その塗り絵に熱中した。何と言っても塗り絵は楽しい。

 翌日の試験。配られた生物の問題を見て、絶句した。昨日の図が何とそのまま出ている。教育大の生物では「発生」の分野は過去に出たことがない。今度も出ないだろうと予想してそこはちゃんと勉強していなかったのだ。しまった、まじめに塗るんだったと瞬間後悔した。ところが、遊び半分に塗っていたとはいえ昨日の記憶はさすがに鮮明で、見事に全問正解。合格可能性4パーセントのぼくは、奇跡的に合格してしまったのである。



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