14 白虎隊と携帯電話

2000.4


 

 会津若松の飯盛山で、「そう言えば昔、白虎隊の歌があったなあ、歌ってたの誰だっけ?」と同行の家内に聞いたら、「知らないけど、どういう歌なの?」と言うので、ちょっと口ずさんでみた。「ぜんぜん知らないけど、何となく三波春夫っぽいわね。」「橋幸夫だったかもなあ。とにかく、昔よく歌ってたんだ。白虎隊が好きだったのかなあ。で、途中に、『南、鶴ヶ城を望めばあ〜、砲煙〜、のぼる〜』てな詩吟がはいるわけだ。」「じゃあ、やっぱり三波春夫じゃないの? よく、セリフの入った歌を歌うじゃない。」「うーん、でも三波春夫は浪曲だからなあ。」

 家に帰ってからも、気になるので、インターネットで検索してみたら、三橋美智也の『ああ、白虎隊』という歌があったことが分かった。歌詞までは載っていないが、どうもそれらしい。何と言っても、三橋美智也はぼくの小学生時代のアイドルだったのだ。『夕焼けトンビ』とか『古城』とか、小学生の頃はよく歌っていたものだ。その中にどうやら『ああ、白虎隊』も入っていたらしい。

 小学生の頃からそういう白虎隊の歌を歌っていながら、実は今回会津を訪ねるまで、白虎隊についてはよく知らなかった。少年が集団で自刃したということは知っていたのだが、一人だけ「蘇生」した飯沼貞吉が何年もたってから語ったことから白虎隊の悲劇が世に知られるようになったということすら初耳だった。

 飯盛山から望む鶴ヶ城が火に包まれているのを見て、それを「落城」と誤認した。それが彼らの自刃の動機だった。飯沼少年は駆けつけた人から「まだ落城していない」ことを聞かされ、命をとりとめたという。自刃の場所に立つと、鶴ヶ城ははっきりと見える。ここで腹を切り、喉を突いて死んでいった少年たちは、今で言えばまだ中学生だ。あわれという他はない。

 会津では白虎隊は郷土の英雄であり、「会津ではまず心の教育を優先してきたのです」と誇らしげに語る人々にも出会った。しかし白虎隊の悲劇を生んだのは他ならぬその教育だった。その教育を反省するものは多くない。子供はいつも犠牲者である。

 白虎隊が携帯電話を持っていたら、と飯盛山でふと思った。「そっちで、火事が起きてるけど、城が落ちたの?」「ぜんぜん大丈夫。町が燃えてるだけだよ。」それだけで、19名の少年たちは死ななくて済んだのだ。英雄にはなれなかったかも知れないが、けっこう楽しく人生を過ごせたのではなかったろうか。




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