99 豹変する人間

2014.9.15


 教師なんかを長いことしている人は、よく「私は結局人間が好きなんです。」なんてことを言うが、ぼくはそんなことは今まで一度も口にしたことがない。むしろ、人間とか、人間関係というのは、めんどくさくて出来れば避けたいと思ってきたし、「生徒が好きだ」なんて口走る若い教師には、呆れこそすれ感心したことはない。だから、「クラス経営」とか、「仲間作り」なんてことも絶対に言わなかったし、担任のクラスがスポーツ大会で優勝しても、ジュース一本自腹切って買ってやったこともない。

 こう書くとすごく冷たい人間のように見えるが、実際はそうでもないらしくて、ヤマモト先生はアタタカイと言われたこともある。でも、アタタカイのかツメタイのかは別として、メンドクサイのが大嫌いということは事実だった。中でもメンドクサイのは、人間関係であることは間違いのないことで、だからできるだけそういうメンドクサイ人間関係は少なくしようと思ってきたのである。

 高齢者になると孤立しがちだから、仲間を作るように努力しなければいけません、なんてことをテレビで言ったりしていると、テヤンデエ、仲間なんてくそ食らえだ、と心の中で思ってきたし、口に出して毒づいてたりもしてきた。

 元勤務校には、退職した職員の会がある。ぼくは、勤務校の卒業生だから、当然その会には、ぼくの中高時代の恩師がたくさんいる。60歳で定年になったとき、勤務はまだ再雇用で続いていたのだが、その会への入会を誘われた。しかし、当時は、再雇用の条件などをめぐって学校当局と盛んに闘っていた時期でもあり、その対応のあまりの失礼さにはらわたの煮えくりかえる思いをしていたときだったこともあって、そんな会には絶対に入らない。完全退職したら、もう二度と学校へも来ないし、退職職員なんかとも付き合わないとまで思い詰めていたので、その後の再三の勧誘にも、断固たる姿勢を崩さなかったのである。

 先日、ぼくが完全退職となったということもあって、再び入会の勧誘の電話があった。電話をしてきたのは、ぼくの恩師である。ぼくは、それまで頑なに応じてこなかったわけだが、その時は、まったく別の反応をした。なんと、快く入会をお願いしたのである。自分でも信じられないほどの豹変ぶりであった。

 その「豹変」は、ぼくの今回の病気に原因があったようだ。入院、手術、その後の自宅静養を経験するなかで、月並みだが、人の情けを心に染みて味わった。人間関係のありがたさを実感した。限りある人生であるならば、縁のあった人たちとは、たとえ苦手な人であっても、会っておきたい、というか、縁をつなげておきたい、そのことの大切さの前には、多少のメンドクササなど問題ではないじゃないか、と思うようになったらしいのだ。

 ぼくと似たような心境にあったのかどうかよく分からないが、ぼくと同時に退職した友人と、恩師からの電話のあった翌日飲んだとき、オレは入ることにしたけど、キミはどうする? って聞いたら、それまで絶対に入らないと言っていた彼が、何と、それならオレも入るよと言ったのだ。彼は、自分の豹変ぶりを棚にあげて、ぼくの顔を見て、シミジミとした口調で言った。「君も変わったねえ。」

 そりゃそうだよ、人間変わらなきゃ生きているとは言えないもんな、なんていいながら、酒を酌み交わしたのだったが、それから1週間もたたないつい先日、28年ぶりにちょっと歳下の昔の友人と二人で飲む機会があった。彼も長いこと小学校や幼稚園での教育に携わり、今は退職しているのだが、ヨウゾウ先生も、教職一筋42年なんてすごいですねえ、というから、一筋なんて格好いいもんじゃないよ、嫌々やってきただけだからなあと言うと、いや、やっぱり先生は人間が好きなんですよ、と言う。そんなことないよ、人間が好きだなんて思ったこともない、やっぱりオレは昆虫や植物相手の研究者の方が向いていたんだと言うと、いやいや、そうじゃないです、好きというより、人間に興味があるんです、じゃなきゃ、教師を42年も続けられるわけないですよ、と言った。

 興味かあ、それならあったかもしれないなあ、と、ふと思った。そうなのかもしれない。そしてその人間への興味は、今頃になって強まってきている気配もある。


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