97 いろはにこんぺいとう

2014.8.31


 「一日一書」なんていって連載を始めたのが、2013年2月14日のことだが、その時は、本当に中井精也さんの「一日一鉄」みたいに毎日1回必ず更新なんて思っていなかった。「たぶん一月もしないで終わってしまうでしょう。」なんて書いているくらいだから、それほど本気ではなかったわけだ。「カテゴリー」の欄を見ていただければ分かるとおり、途中で更新していない「企画」も多い。「ぼくの切抜帖」なんてたった1回だけで頓挫している。

 その「一日一書」が、予想に反して更新頻度が高く、400に近づいているのだから驚く。これは多分に、師匠の発案で始めた「コラ書」のお陰だろうと思う。「書」だけでは、とても続かなかったはずだ。その「コラ書」も、そうそういい写真が撮れるわけでもなく、それにしっくりと合う書がいつでも書けるわけでもないので、できるだけ「一日一書」をこころがけると、かなり辛いものがある。筆を持っても、さて何を書いたらいいのか、途方に暮れることも多いのだ。

 この前、そうした途方にくれながら、なんとなく「いろはにほへと」と書いた。最近、師匠から、ひらがなの練習をするように言われたこともあって、そんな気持ちになったのかもしれない。けれども、普通の筆で書いても、なんだかピンとこない。それで、それまでちょっと試していた草を筆代わりにして書いてみた。偶然できる線や形は、なんだか面白い。

 そんなことをして遊んでいるうちに、頭に「いろはにこんぺいとう」という言葉が浮かんだ。それで今度は筆で書いてみた。草でも書いた。「一日一書」にアップしようとして、はて、これはいったい何の意味だったかと考えた。あ、そうか、「いろはにこんぺいとう こんぺいとうはあまい」ってヤツだとすぐに思い出した。

 それで、「いろはにこんぺいとう、こんぺいとうはあまい、あまいはさとう さとうはしろい、しろいはうさぎ、うさぎははねる、はねるはのみ のみはかゆい、かゆいは……なんだっけ? 最後は、ひかるはおやじのはげあたま、となるんでしたね。」なんていいかげんなことを書いて、アップした。

 その後も、「かゆい」は何だ? ってずっと考えていた。「かゆい」のは、水虫とか、タムシとか、しもやけとか……と考えても、どうもしっくりこない。なんだっけなあ。

 アップしてから2日後だったか、家内が読んだらしく、「あなたの書いてた、いろはにこんぺいとう、だけど、あれ、はねるはかえる、なんじゃないの?」って言う。「はねるはかえる、かえるはあおい……たしか、そうだったと思うんだけど、あおいは何かしらねえ。う〜ん、思い出せない。」とうなっている。最後は「ひかるはおやじのはげあたま」は確かだという。そこは一致しているし、最初のほうも一致している。同い年だから、同じような遊びをしていたわけだ。

 しかし、「あおい」は何だったのか、そもそも「はねるはのみ」じゃなかったのか。たしか「はねるは、の〜み!」って歌ったような気がするんだけどなあと、ますます分からなくなってしまった。何だっけなあと思いつつ、テレビを見ていると、突然家内が「分かったわよ」とiPadを持ってきた。何とそこには、ちゃんと全部書いてあるではないか。「いろはにこんぺいとう」で検索をかけたらしい。そうか検索はぼくの十八番だったのに、これはやられた。

 それによると、やっぱり家内の方が正しくて、「はねるはかえる かえるはあおい」である。ぼくは、「のみ」に行ってしまったので、行き詰まってしまったのだった。ではその後は?

 「かえるはあおい あおいはおばけ おばけはきえる きえるはでんき でんきはひかる ひかるはおやじのはげあたま」である。う〜ん、そうだったのかあ。「はねるは」がネックだったんだ。

 それにしても、「あおいはおばけ」には無理があるなあ。まあ、無理といえばみんなむりだけどねえ。「きえるはでんき でんきはひかる」も、時代を感じさせるなあ、などといろいろな感慨があった。

 そんな感慨にひたりながら、自分でも「いろはにこんぺいとう」で検索をしてみた。確かに、「世界の民謡・童謡」というサイトでは、「『いろはに金平糖』は、日本に広く伝わる遊び歌・わらべうた。連想ゲームのように言葉をつなげて歌っていく。歌われる地域によって歌詞は様々で、歌い出し一つとっても、『いろはに金平糖』で始まるものから、『さよなら三角また来て四角』、『デブデブ百貫デブ』などで歌い始める替え歌・バリエーションも存在する。」とある。

 え、「デブデブ」も替え歌なのか? って思いながら、更に他のサイトをみていくと、初音ミクが歌っているYouTubeが出てきた。へえ〜、と思って見てみて驚いた。出だしは「いろはにこんぺいとう」で、「うさぎははねる」まで同じ。ところがである。「はねるは、の〜み」なのだ。やっぱりそうだったんだ。「のみ」はぼくの勝手な思いこみではなく、確かにそう歌っていたのだ。じゃ、その後は? それはこうだ。

 「のみはあかい あかいはほおずき ほおずきはなる なるはおなら おならはくさい くさいはうんち うんちはきいろい きいろいはばなな ばななはたかい たかいは十二階 十二階はこわい こわいはおばけ おばけはきえる きえるはでんき でんきはひかる ひかるはおやじのはげあたま」これでおしまい。

 う〜ん、そうだったのか。「のみはあかい」だったのか。そうだったかなあ。もちろんのみの色は赤っぽいけどなあ。でも、「なるはおなら おならはくさい」なんて言っていたような記憶が確かにある。でも、「たかいは十二階」の記憶は全然ない。そもそも「十二階」って何だってことになるが、それはもちろん、「浅草十二階」(正式名称は凌雲閣)のことで、明治期の建物としては「たかい」の代表だったのだろうが、横浜の人間にはまったく馴染みがないし、第一「浅草十二階」は関東大震災で崩壊してしまったいて戦後には跡形もなかったわけだから、ぼくらが「たかいは十二階」なんて歌ったとは思えない。それに比べて、「おならはくさい くさいはうんち」は、歌ったような気がだんだんしてきて、それどころかそこでものすごく盛り上がったような気がしないでもない。

 まあ、バリエーションがいろいろあったというわけだから、その辺は別バージョンだったのだろう。少なくとも「はねるはのみ」と歌っていた地域があったことが分かっただけでも大収穫である。更に、矢野顕子が「いろはにこんぺいとう」というアルバムを出し、同名の歌も歌っていることも判明した。そのうち聞いてみることにしよう。

 しかし、今はそれよりも、「さよなら三角また来て四角」、「デブデブ百貫デブ」が「いろはにこんぺいとう」にどうつながるのかが気になってしかたがない。「デブデブ百貫デブ」はそのあと「電車にひかれてぺっちゃんこ おまえのかあちゃんでべそ」でおしまいだったような気がするんだけどなあ。


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