96 強迫神経症的

2014.8.28


 「100のエッセイ」と題してエッセイの連載を始めたころは、目的は、文章の練習だった。1998年の3月に最初のエッセイを書いているから、かれこれ26年も前のことになる。1998年の3月ということは、満49歳だったことになる。え? 40代か? って自分でも驚く。何のために文章の練習をする気になったのかはしらないが、とにかく、1000字で(ごく初期は800字)どこまで書けるかを懸命に模索した。

 パソコンだから文字数は簡単に数えられるので、1字でも多かったりすると、とにかく削って1000字以内に収めた。内容も、あたりまえのこと、誰でも言っていることは書かないように心がけた。(そうなっていたかはまた別の話)自分の言っていることに自信が持てないことは書かないようにした。だから、政治的なことは書かなかった。(ぼくは政治音痴なのだ。)

 話題がちゃんとあって、それできっちりとまとまった文章になるようにした。文体も、できるだけ工夫した。文章修行なんだから当然といえば当然だが、当時のエッセイを読むと、我ながら「よく書けてる」と思えるものがいくつもある。結構やるじゃん、って感じである。

 ぼくは、小学生の頃から文章を書くのも、話すのも、本を読むのも、あんまり好きじゃなかった。どちらかというと苦手だった。高校生になるまで、生物学者か生物写真家になりたいと思っていたので、それでよかったのだ。ところが、数学嫌いがたたって、理系への道が閉ざされ、よりによって国語の教師になってしまったのだから、大変だった。

 高校生になってから友人と「同人誌」を作ったが、自分の書く文章の幼稚さばかりが目立って、コンプレックスに苛まれた。それなのに、文学部しか行くところがなかった。何しろ、記憶力が抜群に弱いから法学部はダメ、数字にはもうメチャクチャ弱いから経済学部もダメ、というわけで、消去法で文学部だったわけだ。大変なわけである。

 それでも、何十年も国語教師をやってきて、50にもなろうという歳で、文章修行を始めたというのだから、学生時代のコンプレックスから抜け出せていなかったのだろうか。だとすると、その歳になっても向上心があったということになるのかもしれないが、まあ、そのころ始めたばかりのホームページを何とか維持したかったというのが本音だったのだろう。

 100書いたらやめるつもりだった「100のエッセイ」の続編を書いているうち、第2期、第3期と、どんどん増えていき、そのうち大震災がやってきて、自分で自分を縛っていることがばからしくなってしまい、それまで一度も破ったことのない「週に1度」「1000字以内」という「掟」を破ってしまった。さらに、その後、ひょんなことから始めたブログが便利だったので、エッセイもブログに移行した。それでも第9期などという枠組みはそのままにして続けているうちに、気がつけば、エッセイも900編に近づこうとしている。

 900編近くも書いてくると、今まで何を書いてきたのかも忘れてしまっているので、「蔵出し」などを始めて、つらつら昔書いたエッセイと最近のエッセイとを読み比べてみると、昔のもののほうが断然いい。短くて、ちゃんと書くべきことが書けているものが少なからずある。最近のものは、どうもダラダラと長いばかりでしまりがない。

 そろそろ潮時かなとも思うのだが、少なくとも1000編という目標は達成したいからやめるわけにはいかない。ただ、今更文章修行でもないわけだから、もっと気楽に書いてもいいんじゃないかと思う。まだ、しまりがないわりには、どこかに、ちゃんとしたものを書こうという意識があるみたいだ。

 加齢から来る(?)しまりのなさは、どう考えても免れないわけだし、それならそれで、かっこつけずに書けばいいじゃないか。前回「ネタ切れの恐怖」なんてことを書いたけれど、それもちゃんとした文章じゃなきゃいけないという強迫観念があるからこその「恐怖」だ。多分に強迫神経症的なところのあるぼくだから、そこから抜け出すのは大変なのだが、なんとか「適当に書き流す、あるいは垂れ流す」ように「努力」したい。なんて書くこと自体、もう強迫神経症的であるのだが……。


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