95 「シチュー」の謎

2014.8.23


 忙しい職人の家に生まれ育ったからか、もともと我が家が食にはこだわらなかったからか、はたまた単に貧乏だったのか、とにかく、旨いものにはとんと縁がなかった。イルカ鍋だの、ジャリジャリのマグロだの、変な食べ物にはこと欠かなかったが、なかでも、我が家の「シチュー」はとても異なものだった。

 ほんとうの「シチュー」に出会ったのは、たぶん、結婚してからではなかったか。家内がビーフシチューが大好きだというので、変なものが好きなんだなあと思っていたら、レストランだかで出てきたそのビーフシチューなるものを見て、ぼくは驚いてしまった。それはただのデミグラスソースのビーフシチューに過ぎなかったのだが、それが我が家の「シチュー」とは似ても似つかぬ代物だったからである。いや、違う、そうじゃない、我が家の「シチュー」が、ほんとの「シチュー」とは似ても似つかぬ代物だったといわねばならぬ。

 どういうものだったかというと、簡単にいえば、味噌の入っていない豚汁のようなものといえばいいのだろうか。何しろ、50年以上も前のことなので、よく覚えていないが、とにかくスープは澄んでいて、その中に、ニンジンとジャガイモと、あと、たぶん角切りの豚肉が入っていたように思う。味は塩味だったような気がする。どうしてこれを我が家では「シチュー」と呼んだのか知らないが、とにかく、旨くなかった。しかも、それがちょっと深めのお皿に入っているのなら、今でいえばさしずめ「ポトフ」といったところだろうが、なんかしらないけど、味噌汁を飲むお椀に入っているので、どこの料理なんだか分からない。それならいっそ、野菜汁とでもいえばよさそうなものを、どう間違って「シチュー」と呼んだのだろうか。いまだに謎である。

 まあ、ことほどさように、ろくなものを口にせずに育ったので、大学に入って、東京などに出るようになると、次から次へと驚くような食べ物との出会いの連続で、世の中にこんな旨いものがあったのかという感嘆につぐ感嘆の日々を送ったのだった。その中でも、特にぼくを驚かせたのは「クリームコロッケ」であって、これについては、既に名エッセイの誉れたかい「わがグルメ事始めはクリームコロッケなりき」という文章となって結実している。

 そのエッセイを書いた当時、ぼくは栄光学園に教師として戻ったばかりで、やる気満々で、次から次へと新しい企画を打ち出していた。その中で、気軽な文章を載せることのできる小冊子を作ろうと友人の教師とはかって作ったのが「玉縄談話室」という雑誌だった。残念ながら、この雑誌は、3号雑誌どころか、たった1号で廃刊となってしまったが、その創刊号兼廃刊号に書いたのが、件のエッセイだったわけである。

 その時は、「わがグルメシリーズ」と銘打ったので、雑誌廃刊後に、もう1編書いたのが「ああ、哀愁の有明のハーバーよ」というこれもまた名エッセイの評判を得た文章である。

 おっと、自慢めいてきてしまった。今更自慢するつもりでこんなことを書いているのではなく、そういえば、あの「グルメシリーズ」の続きを書いてないなあと、ふと思い出したということを書きたかったのだ。

 近ごろ、それなりに忙しいけれど、夏休みも終わる気遣いのない日々の中で、妙に食べ物への関心が高まっている。といって、どこぞの何が旨いから出かけていって食べてみたといった類の話題ではない。ぼくはグルメとはまったく縁のない人間である。ただ、特に20代の頃に出会った食べ物への感動は忘れられないものがある。そのいくつかを、「グルメシリーズ」とは名乗らないけれど、ときどき書いてみようかと思うのだ。

 この「100のエッセイ・第9期」もそろそろ終わりかかっており、遠からず第10期ということになる。いつも「ネタ切れ」の恐怖(そんな深刻なものじゃないけれど)と闘って書き続けてきたのだが、ある程度、ネタを確保しておかなければ、第10期を書き切ることができそうもないと思ったりして、そうだ、「グルメシリーズ」があるじゃないかと思った次第。


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