94 ちょっと淋しい

2014.8.17


 毎夕、7時ぐらいからおよそ50分ほど、家内とウオーキングをしている。今までは、夏休み限定だったのだが、今年は、夏休みも何もないから、7月ごろから歩き始めた。コースは、我が家から上大岡駅の方へ下って行って、駅の近くの大岡川沿いの遊歩道をぐるっとまわって帰ってくるという単純なもの。

 猛暑の夏ではあるが、さすがに8月も15日を過ぎると、コオロギの声などが草むらから聞こえてくる。コオロギでも、リリリ、リリリと、か細くなくツヅレサセコオオロギの声は特にしみじみと秋の到来を感じさせるいい声である。その中に交じって、ひときわ甲高い声で鳴くのが、アオマツムシ。そして、チン、チン、チンと、申し訳なさそうに小さく鳴くカネタタキなど、だんだんと夜の川のほとりも賑やかになる。

 そうした虫の声を聞くと、去年までは、ああ、もう夏休みも終わりかあ、と、なんともいえない切ない気分になったものだ。そう思うと、そんなにオレは学校が嫌だったのだろうかと、また考えてしまう。

 昨日、ぼくの師匠の属する会の書展に出かけたら、親戚の女性に会った。彼女は、ぼくの父の従姉妹で、ぼくよりも大分歳上だが、ぼくが最近、書道の方で少しは上達してきたのを知っているものだから、「洋ちゃん、そのうち、書も教えるんでしょ。」なんて言ってきた。「冗談じゃないですよ。ぼくは教えるのは苦手だし、嫌いなんだよ。」というと、ものすごく意外そうな顔をして、「え、そうなの? だって、ずっと先生をやってきたじゃないの。」と言う。

 そういえば、ずっとその昔、ぼくが大学生だったころ、彼女から「洋ちゃんは、先生に向いているね。」と言われたことがある。ぼくは、たぶん、その時は自分でもそう思い、実際に教師になったのだから、彼女はずっとあの子は、やっぱり教師に向いていたんだ、と思っていたのかもしれない。でもぼくは、自己中心的な、めんどくさがり屋で、生徒の世話を親身になってするような教師には、とうていなることはできなかったのだ。その言い訳みたいに、とにかく、生徒をなるべく面白がらせよう、笑わせようと努力した。それは事実だ。

 そんなぼくが、教師に向いていたのか、いなかったのかなんてことを今更ウンヌンしてもしょうがない。向いていようと、いまいと、42年も続けてきたことは確かなのだし、それほど不幸だったわけでもない。ただ、いい加減な教師だったこともまた事実だ。その根っこには、大学でまともな勉強をしなかった、いやできなかった、というコンプレックスがあった。何を教えるべきなのか、何が大事なのか、そんなことは、大学で学べることではないが、ただ、国語国文学学科というところにいながら、その学問の基礎というべきことを、何も学習も習得もできなかった。その負い目が、結局いつまでたっても、ぼくにしつこくつきまとった。

 ただ、中学や高校の国語教師というのは、それほど専門的な知識がなくても何とか勤まるものなので、長いことやってこれたのだろう。けれども、それと平行して何らかの専門的な研究をしたいと思ってきたが、結局、それも中途半端なことに終始してしまい、あれよあれよいう間に、定年退職となってしまったわけである。

 2学期が容赦なく始まり、学校へ行くようになり、久しぶりに教壇に立つとなると、いったい授業ってどうやるんだっけと思うくらい、どうしていいか分からない状態になったものだ。夏休みの間は、もう授業の準備どころか、授業や学校のことを一切考えずに過ごしたからだ。だから、いざ2学期となると、ものすごく不安になって、ああ、やだなあと思っているうちに、授業開始のチャイムがなる。長い廊下を歩き、教壇に立つ。生徒が、ニコニコ笑っている。その瞬間、突然、どうすればよいかが分かってしまう。いや、そうじゃない、どうやってきたかを思い出す。そして、授業が始まる。それはそれで悪くなかった。楽しくすらあった。

 けれども、もう、そういう瞬間は二度と来ない。夏休みはいつまでも続く。就職したころから、ずっと夢見てきた状況になっている。だから、とても嬉しい。嬉しくてならないけれど、嬉しくって、もう片っ端から現役の教師に電話して、「どうだ、オレはもうずっと夏休みなんだぞ。いいだろう。」って自慢したいくらいだけれど、でも、ちょっと淋しい。


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