91 夏休みかあ

2014.7.27


 ふと気づけば、夏休みである。といっても、学生や子どもの世界のことだが、ぼくのようにずっと教師をやってきた人間には、やっぱり、夏休みかあ、と思うわけである。

 あと、もうちょっと頑張れば、夏休みだからと、必死で大嫌いな期末試験の採点に取り組み、やっとこさ採点を仕上げ、メンドクサイ成績会議を乗り越え、会議以上にメンドクサイ通信簿を書き終えて、終業式。さあ、夏休みだ、という何ともいえない解放感とワクワク感を、子どもの時代から数えれば、58回も経験してきて、もうそれが当たり前になっていたのに、今年は初めてそうした解放感もワクワク感もなく、何の切れ目もなく、気がつけば夏休み、という事態になった。

 そして、もう1週間が過ぎてしまった。7月もそろそろ終わりかかっている。

 この前見た、教え子の那須佐代子さんが出た「ボビー・フィッシャーはパサデナに住んでいる」という芝居で、那須さんのセリフに「あんまり時間の経つのが早いので何にもできない。」というのがあった。ものすごく実感がこもっていて、ひどく共感した。何にもできないわけではないけれど、自分のやっていることと、時間の経過が、どうもしっくりと合わない。時間だけが、自分のやっていることと無関係に、さっさと過ぎて行ってしまうという感じといったらいいのだろうか。そういう事態を、突き詰めるとそういうセリフになるような気がする。

 58回も夏休みを過ごしてきて、毎回思ったのは、結局たいしたこともできないうちに終わってしまったということで、次はこういうことがないようにしようといつも思ってきたけれど、結局、同じことの繰り返しだった。そして、8月に入ると、いつも時間の流れが急速になって、あっという間に8月の下旬となる。夜になるとコオロギなんかが鳴き出し、「灯火親しむころ」という文句が口をついて出てくるようになると、決まって「ああ、もう夏休みも終わりかあ……」という嘆きに浸ることなる。

 しかし、今年は、その嘆きすらもなさそうだ。いつまでも終わらない夏休み。それは果たして幸せなことだろうか。何かが始まるのをワクワクしながら待ち、そしてそれが終わることに哀愁を感じる、それが生きるということのあるべき姿ではなかろうか。

 などと言いながら、やっぱりぼくは、ずっと「終わらない夏休み」を夢見てきたのも事実なのだ。今それが実現して、少々戸惑っているということなのかもしれない。まあ、「夏休み」は終わらないけれど、人生はいずれは終わることは確かなのだから、ものごとを長いスパンで考えて、「いずれ終わるさ」と思っていればいいのだろう。

 それならば58回も繰り返してきた悔いを、出来ることなら、少しでも減らしたい。でも過剰な期待は、結局は失望を生むというのも真実。少なくとも、この暑さでは、冷房をきかした部屋でダラダラと高校野球の地区予選でも見ているしかない。ほんとうに、それほど熱狂的な高校野球ファンでもないのに、地区予選なんか見ている自分が、不思議なヒトのような気がする昨今である。


Home | Index | Back | Next