86 シウマイ弁当考

2014.6.27


   奥本大三郎の「マルセイユの海鞘(ほや)」(2013年12月刊)というエッセイ集をパラパラと読んでいたら、中に「シウマイ弁当礼讃」というエッセイがあった。

 駅弁ベストテンとか、芸能人の好きなお弁当とかいうと、このシウマイ(シューマイではありません。モノはシューマイですけど。崎陽軒は、昔からこういう表記をしています。)弁当が大抵は上位にランクインするほど、有名な駅弁である。駅弁とはいっても、駅だけではなくて、デパ地下など様々なところで販売されていて、必要なときも注文でき、いわゆるロケ弁などにも利用されることから、芸能人にも人気なのであろう。

 まあ、そんな基礎知識は横浜の人間ならいわずもがなのことだろうが、奥本大三郎は、シウマイ弁当のことならオレにまかせろとばかり得意になって書いている。彼は、かつて横浜国立大学の教授だったから、地元意識があったのだろうが、出身は大阪である。でも、地元民顔負けの地元意識でシウマイ弁当を礼讃してくれるのは、生粋の地元民としては嬉しい限りなのだが、悲しいかな、やはり経験不足はいなめない。彼はこう書いている。

横浜の大学に勤め始めた二十代の終わり頃から、しばらくずーっと、私はこの弁当(シウマイ弁当)を食べてきた。我が三十代、四十代は、この弁当と共にあった、と言いたいぐらい。

 とすれば、20年ほどずーっとこのシウマイ弁当を食べてきたことになる。経験としては十分すぎると言ってもいいぐらいだ。ぼくは、たぶん、小学生の頃から、ずーっと食べてきているが、昔は、年に数度といった程度で、頻繁に食べるようになったのは、ここ20年ぐらいだ。夕食を作るのが面倒だったり、かといって外食も気が進まないときなどは、京急デパートの地下の崎陽軒の売店で買ってきて食べるということが多いからだ。一人で食べるときもあれば、家内と食べるときもある。今や、シウマイ弁当は、我が家の夕食の大事なメニューの一つと言ってもいい。

 奥本氏の「ずーっと」と、ぼくの「ずーっと」を比べたら、どっちが食べた数が多いかは判定しかねるが、食べた期間でいったら、ぼくの方がずーっと長い。だから、というわけではないが、シウマイ弁当に対する「愛」は、たぶんぼくの方が勝っている。というのは、奥本氏は、続けて次のように書いているからである。

蓋の上の紙には赤、青、黄に龍の絵が描いてある。経木の外側にまで、ちょっと前まで暖かかった御飯の露がしっとりと染みている。

なかなかいいじゃん。ただ、「赤、青、黄に龍の絵が描いてある。」では、何のことか分からない。黄色の地に、赤で龍が、青で横浜の町の景色が描いてある。もっとも、青で描いてある図柄には変遷があるようだ。いずれにしても、色を並べるだけで済ませるなら、黄色が先頭にくるべきだ。いちばん黄色が目立つから。次、

蓋を取って、その裏にこびり付いた御飯粒を残らず食べ、シウマイはまだ柔らかいかな、と口に入れる。

 絶好調である。ぼくも、だいたいその通りの行動をとる。ただし、「裏にこびり付いた御飯粒」はたいてい半分は残ってしまうけれど。問題はその後だ。

カラシ醤油をつけてたべるシウマイは無論美味しいが、鮪の煮付けが、適当に弾力があってこんなに旨いものだとは、これを食うまで知らなかったし、メンマの風味と歯触り、小さな鶏の唐揚げ、細切りの大根の漬物、塩昆布、ほかほかと上手に炊けた御飯、最後に食う乾し杏まで、弁当の傑作として賞味してきた。どこに何が配置されているか、まさに掌(たなごころ)を指すごとく心得ている故に、目をつぶってでも食べることが出来たし、今もこのように書くことができる。

 さて、この文章にいくつの間違いがあるでしょう。地元民ならたぶんすぐに分かるだろうが、明かな間違いは「細切りの大根の漬物」である。こんなものは入っていない。これは「紅ショウガ」の千切りである。「鮪の煮付け」も間違い。正しくは「鮪の照り焼き」である。「塩コンブ」も間違いと言ってもいいだろう。塩コンブというと、乾いて表面が白ぽく粉をふいたようなアレを思い出してしまう。そうではなくて、「切り昆布」である。黒くてしっとり濡れた昆布を千切りにしてあり、それが、紅ショウガのすぐ隣、隅の隔離された三角地帯に同居していて、ふつうに食べると両者が混ざって口に入ってくることになる。その塩梅が絶妙なのだが、家内は紅ショウガが嫌いなので、昆布と紅ショウガを丁寧に分けて、紅ショウガはぼくにくれる。(ちなみに杏も小梅も嫌いなので、ぼくにくれる。)

 間違いではないが、脱落もある。奥本氏は、何を書くのを忘れたでしょう。正解は、カマボコ(縁がピンクのやつ)と、玉子焼き、それから小梅(梅干し)と御飯の上の黒ごまである。

 さらに、記述上の問題としては、「カラシ醤油をつけてたべるシウマイ」だが、これが不正確というか、誤解を生じやすい記述だ。カラシは、ビニールの小袋に入っていて、それをぼくならシウマイの上にまず適量のせ、その上からビニールの入れ物に入った醤油をたらす。これを「カラシ醤油」と言ってしまうと、最初からカラシ醤油がついていることになりはしないか。(そうでもないか。)

 ついでに言っておくと、この醤油だが、ぼくが小さい頃は、瓢箪型の陶器の入れ物に入っていて、口にコルクの蓋がついていた。この瓢箪型の入れ物には、顔が書いてあって、この入れ物を「ひょうちゃん」と言った。いろいろな顔があるので、ずいぶん集めたものだが、いつのころからか、ビニールの入れ物になってしまった。

 とまあ、重箱、いや弁当箱の隅をつつくようなあら探しをしてきたが、奥本氏も、昔のことを思い出して書いているのだから、記憶違いや忘れたことがあっても当然である。だからこそ、もっと謙虚な姿勢で書けばよかったのだ。「どこに何が配置されているか、まさに掌(たなごころ)を指すごとく心得ている故に、目をつぶってでも食べることが出来たし、今もこのように書くことができる。」なんて大見得をきるから、ぼくのような人間の小さい者にイチャモンを付けられることになる。

 それはそうと、ぼくにも、分からないのだが、知人が最近このシウマイ弁当について、「昔はさあ、エビフライが入っていた時があったんだよね。」と言うのだ。そう言われると、そんな気もする。家内(家内は、高知の生まれだが、幼稚園のころからの横浜市民である。)に聞いてみたが、そんな記憶はないという。どなたか「そうだ、エビフライも入っていたことがある!」って言う方いませんか?

 なお、シウマイ弁当のイメージがわかない方は、こちらをどうぞ。

 

 

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