81 黄色い電車の功徳?

2014.5.24


 いつものように金曜日は、「出勤日」である。東京の王子まで出かけるのだが、最近は、ほとんど必ず寄り道をする。で、昨日も、家を2時半近くに出て、まずは京急の快特に乗ることにして、駅でぼんやりと電車の来るのを待っていたら、向かいの下り線に、ほわんと来た電車が、黄色い京急。5月から2年間限定で運転される「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」である。たった、1編成しかないから、めったにお目にかかれない。もっとも、この電車の写真を撮ろうと思ったら、京急に電話すると、詳しい運行時間を教えてくれるから、その気になれば撮ることも乗ることの簡単なのだが、偶然に出会うということはやはり珍しい部類となる。だからまあこれをみたらハッピーになれるということだろう。

 ぼくは、カバンに入っていたカメラを慌てて取り出して、数枚の写真を何とか撮った。これで、今日はハッピーに違いない。

 やって来た快特電車は空いていたので、ちょうどぼくが座った席の真ん前が車椅子用のスペースになっていて、そこに電動車椅子に乗った若い女性がいた。スマートフォンを持って操作する手にも麻痺があるようだった。大変だなあ、でも偉いなあとつくづく思う。こうやって車椅子に乗って、電車に乗り込み、遠くまで行こうという意志。ぼくにそんな強い意志があるだろうか。

 その子は、川崎駅で降りた。駅にはちゃんと京急の駅員が降車用のボードを持って待機していて、やさしく面倒を見ている。駅のホームにはエレベーターもある。こういう支援態勢が整っているからこそ、彼女も遠出できるわけだ。

 品川で乗り換えて、鶯谷まで行く。先週訪れた子規庵が、4時閉館で入れなかったので、今度は3時前に着いた。今度はちゃんと入ることができた。品の良い知的な女性が受付にいて、丁寧に応対してくれた。ここは、子規が亡くなるまでの8年ほどを過ごした家で、空襲で蔵を残して焼失したが、昭和25年に再建されたとのこと。子規の過ごした6畳間から見える庭には、今も変わらず糸瓜が植えられている。この地は、前田家の屋敷跡だったが、今ではこの子規庵周辺の土地は売却され、ラブホテルだらけになっている。

 子規庵から国立博物館へ行く道の案内のパンフレットを家に忘れてきてしまったので、受付の女性に尋ねると、それまでその女性と話をしていた初老の男性が、あ、私がご案内しますといって、外までサンダル履きで出て、詳しく道を教えてくれた。子規庵は、「一般財団法人子規庵保存会」が管理運営しているということで、この男性もその一員であるようだ。苦労がしのばれる。子規を愛すればこその苦労だろう。

 子規庵からちょっと歩いた所に、JRの線路をまたぐ陸橋がある。その陸橋にあがるためのエレベーターがあったので、自転車にのった初老の男性と一緒に乗り込んだ。その男性は、にっこり笑って、「暑くなりましたねえ。」と言った。地元の人なのだろか。それとも、レンタサイクルでの文学散歩なのだろうか。今日は、黄色い電車のおかげで、いいものばかりに出会うなあと思いながら、寛永寺を初めて見ながら、国立博物館へ行った。

 先週見た、書道博物館の「美しい隷書」との連携展示が、国立博物館であるというので行ったのだが、博物館のどの館だったか忘れてしまった。国立博物館というのは、大きな建物だけでも、平成館、本館、東洋館の3つがあるのだ。取りあえず平成館に行ってみた。今は、企画展のない時期であることは知っていたが、ここには隷書のレの字もない。ここじゃないんだと思ったが、もうかなり歩いていて腰の方も限界だし、隷書は来週でいいやということで、「日本の考古」という常設展を見た。これがなかなかすごかった。半端じゃない充実ぶりである。中でも埴輪の展示が素晴らしくて、写真撮影もOKであるというのも嬉しかった。こんなに美しい埴輪を実際に目にしたのは初めてだ。歴史の教科書や、美術全集などですっかりおなじみになっていた埴輪だが、実物は意外に大きいものが多くて、その優しい表情に魅了された。ほんとうにこれらの埴輪の美は、ギリシャの彫刻をしのぐものではなかろうか。

 そんなこんなでちょうどいい時間になったので、王子へと向かったわけだが、なんでこんなことをダラダラと書いたかというと、黄色い電車の功徳を証明したいからではなくて、大袈裟にいうと、人生というものがどういうものかということが、この半日でちょっと分かったような気がしたからだ。

 ぼくは、基本的には、今の世界に絶望している。大きな観点からみれば、これからの世界に明るさを見出すことができない。日本の状況も悪化の一途を辿っているようにしか思えない。それでも、ぼくらが生きて行くことができるのは、今日出会ったような、小さな出来事のなかに、人間の細やかな心遣い(つまり「愛」)や、「美」があるからだろう。ひとりの人生というものも、ごく限られた時間をさまざまに拘束されて生きられるしかない、はかないものだが、それでも、何とか生きていられるのは、小さな出来事に少しずつ励まされているからだろう。うまくまとまらないし、まとめるつもりもないが、ちょっとだけ光が見えたような気がする半日だった。

 やっぱりハッピートレインの功徳なのだろうか。


 

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