77 「きょう」は長いか短いか

2014.4.27


同級生の友人に近況をメールして、そこに、「毎日が日曜日状態となったけど、何ていうのかなあ、とにかく、一日があっという間に過ぎるのでオソロシイ。どこかへ出かけたほうが少しでも、一日が長くなるかと、バカみたいに出かけてみても、時間の過ぎ方は、変わらないもんだね。結局、人生って、短いんだというのが毎日の結論です。」と書いたところ、「あっという間に過ぎる一日、とは思わなかった。なかなか過ぎないので、お寺まわりなどで紛らわし、夫婦二人きりの老後の練習をしているのかと思ってた。ぼくは、(定年になったら)家の片隅に置いてもらって、長い一日を、溜めた本を読んで、のんびり過ごそう、過ごせるぞと期待していました。そうか、短いのか。30年、40年、50年前の過去もつい昨日、どころか半日前ぐらいの気分だけど、きょうが短い、とは思わなかった。」という返事が来たので驚いてしまった。

 歳を取ればとるほど、時間の経つのが早くなるのが当たり前だと思っていたし、その中には「きょう」も短いというのは当然含まれると思っていたからだ。

 けれども、彼は、「30年、40年、50年前の過去もつい昨日、どころか半日前ぐらいの気分だけど、きょうが短い、とは思わなかった。」と、「30年、40年、50年前の過去」と「きょう」を分けて考えている。やっぱり、物事は経験しないと分からないということなのか、それとも、「きょう」まで短いと感じるのは、ぼくだけの特殊事情なのだろうか。

 たとえば、鎌倉へ行ったり、公園に行ったりしない最近の日の様子は、こんな感じだ。

 朝は、7時すぎまでベッドを出ない。5時半ごろにはたいてい目が覚めているのだが、トイレに行っても、またベッドにもぐり込み、ラジオを聞いたり、iPadでブログを読んだり本を読んだりして、ウトウトしたりグズグズしたりしているうちに、隣の部屋の家内が起きて階下へ行く気配で、ようやくベッドから出る。

 朝食を食べながら、『花子とアン』を見たあと、まだ肌寒いので、コタツに入って横になると、また眠くなる。下手をするとそのまま1時間ぐらいコタツに入ったままウトウトしてしまう。週に2〜3回、マッサージへ出かけるが、帰ってくるともう昼食だ。昼食を食べながら、『ヒルナンデス』を見たりしているうちに、あっという間に、1時を過ぎる。午後にはブログを書いたり、書を書いたり、教科書の仕事をしたりはするが、気がつくと6時近くになっている。夕食は6時と決めている。

 最近は、夕食では(朝も昼もだが)米の飯は食べずに、そのかわり日本酒なら1合、ビールなら缶ビール一杯を飲む。それだけしか飲まないのに、かなりいい気持ちになる。夕食は7時には終了。昔は、夕食も15分ぐらいで食べてしまったものだが、最近では、家内の母と一緒に食べているので、それに合わせて、なるべくゆっくり食べることにしている。その後は、もう仕事めいたことはいっさいしないことにしているが、7時半ぐらいまでは、パソコンの前でなにやかやとやっていて、7時半ぐらいになると、片付けを終えた家内と一緒に、テレビを見る。

 家内と一緒にテレビを見るようになってから、はや10年以上になると思うのだが、以前は、たいてい録画していた日本のサスペンス系のドラマを見ていた。しかし、さすがに、10年も見続けていると飽きてきてしまい、しかも、年々ドラマの質が落ちてくるので、どうしたものかと思っていたら、次男が「Hulu」を教えてくれた。月額1000円ほどかかるが、ドラマや映画が見放題というヤツである。映画は、それほどたいしたものがあるわけではないが、アメリカのテレビドラマがなかなかいい。

 中でも『名探偵モンク』(原題「MONK」)が素晴らしい。これは、随分前に、たしかNHKで吹き替えで放送していたのをずっと見ていたのだが、これが、字幕で、全シリーズ(?)ある。最初のうちは字幕はどうかなあと思っていたのだが、今ではすっかり慣れてしまい、英語もだいぶ分かるようになってしまった。しかしそれも、45分ぐらいで終わるので、続けてもう1話見たり、『アグリーベティ』を見たりする。『アグリーベティ』は最初は面白かったけれど、シーズン2の真ん中ぐらいまで見て、だんだんばからしくなり、面倒くさくもなってきて挫折。それで、ごく最近では、日本のテレビドラマ『深夜食堂』やら『孤独のグルメ』を見たりしている。この2つは、1本が30分ほどなので、気軽に見ることができる。いったい、いつ放送していたのだろうか。

 『深夜食堂』のプロデューサーに竹園元の名前が出るので、おっと思う。彼は、栄光時代の教え子である。ついでに思い出したが、『花子とアン』に出てくる綾小路先生役の那須佐代子は、青山高校時代の教え子である。いろいろなところで教え子が活躍しているのは嬉しい限りだし、思わず自慢したくなる。

 まあ、そんなことをしているうちに、10時ぐらいになる。それから風呂に入り、その後、録画してある『吉田類の酒場放浪記』を1回分か2回分見て、11時にはベッドに入る。ぼくは寝付きがいいので、すとんと寝てしまう。

 こう書いてくると、「けっこう長い」と思うけれど、実は、これが「あっ」という間に終わってしまうというのも実感である。長いようでもあり、短いようでもある。

 長いか、短いか。結局は、どっちでもいいのだ。「きょう」がある。それだけでいい。


 

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