74 PATNTING AS A PASTIME

2014.4.12


 この4月にとうとう無職となった。毎朝決まった時刻に起きて、仕事に行かなくていいというのは、やっぱり相当な快感である。それが困るという人もいるだろうが、ぼくは、昔からこういう生活に憧れていたから、ちっとも困らない。困らないけれど、あまりにヒマが続くと、どういうことになるのかという不安がないわけではない。

 ヒマならヒマでいいけれど、昔から「ヒマつぶし」という言葉があるように、ヒマはつぶさないと困るものでもあるらしい。

 「ヒマつぶし」というと、思い出す英語がある。「pastime」という単語である。英和辞典では「気晴らし」「娯楽」「趣味」などと訳されているが、「pas+time」だから、「時間を過ごす」つまりは「時間をつぶす」ということになるだろう。ちなみに英語には「kill time」というオソロシイ表現もある。殺される「時間」というのは、きっと「退屈な、ヒマな時間」にちがいない。

 それはともかく、「pastime」という単語をどこで知ったかというと、高校3年の時の英語の授業だった。英語の文系選択授業だったと思うのだが、その担当のA先生が読解のテキストとして、かの英国宰相だったウインストン・チャーチルの「PAINTING AS A PASTIME」という本を使ったのだ。大学の教養課程で使うテキストで「絵を趣味として」と訳された本だったが、「暇つぶしとしての絵」というほうがいいような気もする。

 この本の全文をひたすら読んでいくという授業で、ぼくにはとても興味深く、その授業が楽しみだった。絵が好きだったこともあるが、それ以上に、高3という受験勉強一色に染まった日々に、こういう本をゆっくりと読めるということが嬉しかったのだ。

 その頃、国語の、やはり文系選択の授業では、毎回古文の演習問題をやっていたのだが、その担当のA先生(こちらも偶然頭文字がAだった。)が、「こんなことは、ほんとうはやりたくないんだ。ほんとうは、江戸時代の文学なんかをゆっくりと読みたいんだけどなあ。」と呟いたことがある。その時、ぼくは、心の中で叫んでいた。「先生、どうしてそうしないんですか。こんな演習問題なんてちっとも面白くないし、受験勉強なんて自分でやりますよ。」ほんとうにやりたいことをやらないで、ブツブツ言っているだけなんて、と怒りにも似た感情さえわいたことを、今でもはっきりと覚えている。もちろん、今なら、その先生の気持ちはよく分かるし、むしろ、そんな本音を言わずにいられなかった状況もすごくよく理解できる。けれども、その当時のぼくは、高3になって、周囲がとにかく受験に向けて血眼になっていることに耐えられないほどの嫌悪を感じていたのだ。

 「PAINTING AS A PASTIME」の授業も淡々と進み、中程までさしかかったころだろうか。一つの忘れられない「事件」が起きた。一緒に授業を受けていた同級生の数名が、この授業に不満を抱き、こんな本を読んでも受験には役立たないから、やめさせてほしい、と校長に訴え出たのだ。もっと受験に直結した授業をこの教師にさせるように命じろというわけだ。この話をどういう経路で知ったのか覚えていないが、直訴した連中が自ら話したのではないかと思う。

 ぼくは、その時、心底怒りを感じた。なんてヤツラだ。こんなに面白い授業に興味を持てないなんて。こいつらの頭の中は受験しかないのか、と思って、彼らをはげしく憎んだ。それにも増して許せなかったのは、不満があるなら、直接A先生に言えばいいのに、それをしないで、校長という権威者に直訴したことだ。当時の栄光は、フォス校長の独裁といってもいいくらい、何でも校長が決めていたところがあるから、校長に言いつければ、自分たちの思い通りになると思ったのだろう。最低の行為である。今でも思い出すと腹が煮えくりかえる思いだ。

 それほど心の中で怒り狂いながらも、ぼくは、彼らにくってかかることもなく、事態の推移をハラハラしながら見守っているしかなかったような気がする。あるいは、彼らと議論したのかもしれないが、記憶にない。できれば、議論ぐらいしてほしかったと思うのだが、過去の自分じゃどうしようもない。

 さて結果はどうだったのか。校長は、その直訴を却下した。校長がどういう思いで却下したのかは知らないが、とにかくこの結論にぼくは安堵とともに、校長への尊敬の念を新たにした。フォス校長の考え方には、至る所で反発したが、同時に尊敬もしていたのだ。

 それと同時に、受験のことしか頭にない同級生への反発は、ますますエスカレートしていったのだった。


 

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