73 ゴーストライター問題

2014.4.5


 ひとしりき世間を騒がせた佐村河内問題も、最近では話題にもならなくなってきたが、あれにはかなりびっくりした。それというのも、去年の3月に放映されたNHKスペシャルを見て、ひどく感動したからだ。感動というか、こんな人もいるのかという驚きだった。とにかく聴覚障害というのは、耳が聞こえないだけではなく、轟音が一日中鳴り響くのだと聞いて、これは大変だなあと思ったのだ。自宅の廊下を這って作曲する部屋に行く姿などは、今から思えば演技だったらしいが、それにしても迫真の演技で、完全に騙されたわけだ。交響曲の方は、時間がなくて聞かなかったし、CDも買わなかったが、聞いていたら、どんな感想をもっただろうか。もっとも、クラシック、特に現代曲はよく分からないので、感動しなかったかもしれないが、それでも、あの状況に置かれている人が作ったということがおおいに影響して、感動したかもしれない。

 ゴーストライターの新垣氏の記者会見は、ちょうどその頃は、家で寝ているしかない状態だったので、最初から最後まで全部見た。文春の記事も読んでいなかったので、へえ〜、そうなのか、と驚くことばかりだった。その後の、佐村河内氏本人の会見は、リアルタイムでは見なかったが、ニュースでその姿を見て、またびっくり。髪を切って、サングラスを外すと、あんなに人間は違って見えるのか、と驚いた。

 この件に関しては、いろいろな人がいろいろなことを言っていて、それぞれもっともらしいが、そもそもゴーストライターって何なのかということに踏み込んで話す人はあまりいなかったように思う。

 芸能人の自伝のようなものは、だいたいゴーストライターがいるということは常識なのだろうが、案外、世の中の人はそういうことすら知らないのかもしれない。山口百恵の自伝「蒼い時」は、編集者の残間絵里子のプロデュースで世に出たことは有名だが、つまりは、山口百恵の話を聞いて、残間絵里子が書いたということだろう。これはもう公然のことで、だれもそれを非難しない。そういうものだということだ。

 今回の佐村河内氏の行為について、有名な作詞家が、テレビで、これは芸術に対する冒涜ですよと、とくとくと語っていたが、それでは彼の詞は、全部自分の作かというと、そんなことはない。そんなことはない、とほぼ断言するのは、ぼくは、彼のゴーストライターをやったことがある人から直接話を聞いたことがあるからだ。当時としては結構な値段で、その詞を彼が買ってくれたということだ。もちろん、そのゴーストライター氏は、自分で書いた詞を彼に売ったのだから、そこには完全な合意があり、怒っているということでは全然なかったけれど、そのことを聞いて以来、作詞家というものは、きっと何人ものゴーストライターを抱えてるに違いないとぼくは思っている。阿久悠が奇しくも言ったように、歌謡曲の歌詞は、芸術や文学じゃないんだということなら、別に誰が作ろうとかまわないし、売れればいい。無名の人の作詞では売れないなら、有名な人の作として売ればそれでいい、ということになる。

 佐村河内氏のやったことは、こういう芸能界とか歌謡界とかの通例にのっとって、「芸術」の分野で壮大な詐欺的行為を働いたということだろうが、それが、広島とか、被災地とかを巻き込んだ、あまりにもえげつないものだったので、大問題となったということだろうか。

 芸能界や歌謡界だけではなく、もっと身近なところにもゴーストライターはいる。

 もう何十年も前のことだが、家内の父が、随筆を書くのが好きで、その挙げ句、随筆集を自費出版したいと言い出した。その相談を受けて、ぼくは、横浜の丸善の自費出版部の人と話をしたことがある。だいたいの値段と、手順を知りたいと思ったからだ。その話の中でぼくは驚くべき言葉を聞いた。彼は言ったのだ。「で、原稿はあるんですか。なければ、資料とか、テープとかでも、ちっともかまいませんよ。こちらでリライトしますので。」

 随筆集を出したいと言っているのに、「原稿はあるか?」とは何事か、とその時、一瞬ブチ切れそうになったが、よく聞いてみると、功成り名を遂げた会社の社長さんなどが、自伝を出版したいというような話がよくあって、そういう場合は、たいてい、資料やら、談話のテープやらを提出してもらって、後はリライターが文章に仕上げるのだということだった。リライトというのは、つまり「書き直し」ということだが、自伝などの場合は、社長自身が書くより、文章のプロが書いたほうがより内容が伝わりやすくなるわけだから、けっして悪いことでもなんでもない。ぼくだって、リライトでもやろうかと思ったことがあるくらいである。

 ただ、ことが「芸術」となると、やはり、「個人」が問題になる。家内の父は、自分の文章が芸術だとは思っていなかったかもしれないが、文章に対する拘りは非常に強かったから、もちろん、リライトなんてとんでもない話だった。丸善で作るのはやめて、ぼくがパソコンで版下を作り、知り合いの印刷屋に頼んで出版したのだった。


 

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