72 認印

2014.3.31


 先日の「つれづれフォト006」で、ぼくの認印の写真を載せて、そこに「昔読んだ詩に、出勤簿用に使っていた認印が、何だか血の滲んだ指先のように見える、ということを書いたものがあって、それは、確かに石垣りんの詩だとずっと思ってきたのですが、今回、石垣りんの詩集にあたっても、どこにもない。おかしいなあ。いかにも、石垣りんらしい、どこか陰惨な趣のある詩だったと思うのですが。」と書いたのだが、やっぱり、どう考えも、石垣りんの詩以外に考えられない。それでためしに、ネットで検索してみた。「石垣りん」「認印」の二つの言葉で検索すると、たったひとつのブログに、こんなことが書いてあった。

 私の小学校の国語の教科書だったと思うのですが、石垣りんさんのエッセイを勉強しました。それは、石垣りんさんが卒業記念に学校から貰った象牙の印鑑をずっと使い続けるうちに、朱肉が象牙に染みて桃色だか色が変わり、幾年の思いに馳せる…。そんな件(くだり)だったと思います。

 そうか! エッセイだったのか。それで、手持ちの「現代詩文庫 石垣りん」に載っているエッセイを見たら、ありました、ありました。それは「詩を書くこととと、生きること」と題されたエッセイで、初出は、一九七一年の「図書」。小学生の頃から現在に至る自分の暮らしと、詩作の経過を綴った文章である。その中に、問題の記述があった。それにしても、こんな大人の文章が、ほんとうに小学校の教科書に載っていたのだろうかという疑問は拭えないが、それはそれとして、「問題の記述」はこうである。

 私が就職したとき、象牙の印鑑を一本九十銭で、親に買ってもらいましたが、毎日出勤簿に判を捺している間に、白い象牙がすっかり朱色に染まりました。この間、印鑑入れを買いに行きましたら、これも年配の古い店員さんが「ずいぶん働いたハンコですね」と、やさしく笑いました。お互いにネ、という風に私には聞こえました。
 それにしても一本のハンコが朱に染まるまで、何をしていたのかときかれても、人前に、これといって差し出すものは何ひとつありません。
 一生の貯えというようなものも、地位も、まして美しさも、ありません。わずかに書いた詩集が、今のところ二冊あるだけです。綴り方のような詩です。
 ほんとに、見かけはあたりまえに近く、その実、私は白痴なのではないかとさえ、思うことがあります。ただ生きて、働いて、物を少し書きました。それっきりです。

 これを読んで驚いたのは、ぼくは「出勤簿用に使っていた認印が、何だか血の滲んだ指先のように見える」と書いているのに、原文には「毎日出勤簿に判を捺している間に、白い象牙がすっかり朱色に染まりました。」としか書いてないということである。とすると、「何だか血の滲んだ指先のように見える」というのは、ぼくのまったくの想像だったということになる。石垣りんの「シジミ」という詩などは、今でも高校の教科書に載っていることがあり、日常生活を描きながら、その言葉から立ち上ってくる、女の恨みというのか、生活苦のゆえの妄執というのか、どうにもやりきれない闇のような感じに、果たしてこういう感情が今どきの高校生にどのように受け取られるのだろうかといつも疑問に思ってきたのだ。だから「認印が血の滲んだ指先のように見える」というのも、いかにも石垣りんらしい表現だと、ぼくはずっと思ってきたのだった。

 その後の記述を読むと、怖いというよりは、むしろ穏やかで慎ましい思いが淡々と書かれているが、「それにしても一本のハンコが朱に染まるまで、何をしていたのかときかれても、人前に、これといって差し出すものは何ひとつありません。」という感慨は、今のぼくにも何だかとてもよく分かるのだ。もちろん、詩人としての石垣りんは、今でも教科書に載るくらいだから、素晴らしい「業績」を残すことができたわけで、この言葉が謙遜であることは誰の目にも明らかだ。けれども、ほんとうにこの言葉は謙遜なのかと考えると、どうもそうではなくて、案外本心なのではないかとも思えてくるのだ。

 石垣りんは、特別に貧しい家に生まれたわけではないが、ちょっと複雑な家庭の事情もあって、高等小学校を出てすぐに、15歳のときに銀行に勤めた。その頃のことを、このエッセイの中でこんなふうに書いている。

 つとめする身はうれしい。読みたい本も求め得られるから。
 そんな意味の歌を書いて、少女雑誌に載せてもらったりしました。とても張り合いのあることでした。
 と同時に、ああ男でなくて良かった、と思いました。女はエラクならなくてすむ。子供心にそう思いました。
 エラクならなければならないのは、ずいぶん面倒でつまらないことだ、と思ったのです。愚か、といえば、これほど単純で愚かなことはありません。
 けれど、未熟な心で直感的に感じた、その思いは、一生を串ざしにして私を支えてきた、背骨のようでもあります。バカの背骨です。
 エラクなるための努力は何ひとつしませんでした。自慢しているのではありません。事実だっただけです。機械的に働く以外は、好きなことだけに打ち込みました。

 女性の社会進出の重要性が叫ばれている昨今では、何を世迷い言をと思う人も多いだろう。けれども「エラクならなければならないのは、ずいぶん面倒でつまらないことだ」というのは、若い頃のぼくの直観でもあった。ぼくは教師になって、42年間勤めたけれど、「エラクなるための努力」は、やっぱり何ひとつしてこなかった。この42年間で、「長」と名のつく役職は、「演劇部長」ぐらいなものだった。石垣りんなら「女でよかった」と言えるが、男のぼくは、「女ならよかったのに」としかいいようがない。

 石垣りんは、学歴や財産のないゆえの苦渋をその人生で嫌というほど味わったのだが、それでも銀行での業務は「機械的に働く」というふうにまとめられるものだったゆえなのか、「毎日出勤簿に判を捺している間に、白い象牙がすっかり朱色に染まりました。」という穏やかな表現になり、その後で、おそらくは女性店員との働く女性としての共感へと話を進めている。けれども、ぼくの中では、それが「血の滲んだ指」に変換されたのは、先ほど述べたように石垣りんの他の詩からの影響でもあるだろうが、ひょっとしたら、教師の仕事が、時として血の滲むような苛酷さを持っていたからなのかもしれない。

 いずれにしても、詩であれ、エッセイであれ、言葉というものは、時として、長く人の心に生き続け、場合によっては多様に変換されながら、その人の心の糧となっていくものであるらしい。


 

 

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