66 大きな手

2014.2.24


 手術は、1月10日に行われた。その2日前に、家族も同席のうえで詳細な説明が鈴木先生からあった。ぼくは家内が同席すればそれでいいと思ってそう鈴木先生に言うと、「いや、息子さんにも同席していただいたほうがいいと思います。やっぱり、それなりの手術ですから。」と言う。そうか、そうだよなあ、「それなりの手術」ということは、「決して安全ではない、命にかかわる大きな手術」という意味だろう。それで、長男と次男も同席して、その説明を聞いたのだった。

 詳しいことはとてもここに書き切れないが、とにかく、大動脈瘤のある部分の血管を人工血管と取り替える、そのために、胸を開き、一端心臓を停止させ、人工心肺で置き換え、体温も低くしておいて(ぼくの血液をどれくらいか分からないが抜き取って、それを冷やして再注入することで体温を下げるのだそうだ。)、その間に人工血管と本当の血管を縫い合わせる、というようなことだった。人工血管は、ゴアテックスという素材で出来ていて、大変優秀な製品だということだった。「心臓カテーテル検査」で、卒倒しかかったぼくだが、話がここまで来ると、「いったいそんなことができるのか?」とか、「心臓を一端止めるっていうけど、その間にほんとうに縫い終わるの?」とか、もう無数に出てきそうな疑問も、まるで出てくる余地もなく、ただただ他人事のように、「ほう。」とか「へえ〜!」とか、ひたすら感心して聞いているだけだった。

 説明の終わりころに、鈴木先生は、最初のレントゲン写真をしげしげと見ながら「それにしても、この写真で、大動脈瘤を見つけるなんてことは、わたしにはできません。だって、ほとんど何にも見えてないんですからね。」と言った。あしかり先生のすごさを改めて実感したのだった。

 手術の前日は、麻酔科の担当医、手術室の看護師(この方は、宮城先生の知り合いで、宮城先生からもよろしくと言われていますと言っていた。ほんとうにどこまで行っても、つながる縁で、ありがたかった。)などが次々に病室に挨拶に来た。やっぱり、手術ともなればものものしく、ただならぬ緊張感が漂い始めていた。

 手術当日は、朝の8時半に手術室到着ですからと言われていた。直前にベッドで血圧を測られたが、いったいどれくらいまで上がっていることだろうと思ったら、何と130ほどしかなかった。予想に反して、ちっとも、ドキドキしていないのである。まな板の上の鯉よろしく、もう完全に観念したということなのだろうかと、自分で自分が不思議に思えるぐらいだった。

 病棟は7階、手術室は4階。手術室までは、ベッドに寝かされて、半分麻酔で朦朧としながら行くのだろうと思っていたら、あにはからんや、歩いて行くのだという。「5年ぐらい前までは、ベッドで手術室に運ばれたんですけどねえ。近ごろは、歩いて行くんですよ。」と看護師は言っていた。ぼくと家内と看護師の3人で、病室を出て、エレベータで4階まで行き、大きなガラスドアの前で家内と別れ、看護師と2人で手術室へ向かった。

 手術室は、「心臓カテーテル検査」の部屋よりは小さく感じられたが、やはり10人ほどの医師や看護師たちがにこやかに迎えてくれた。こんどはちっともジタバタしていない。冷静そのもの(?)である。名前を聞かれる。(とにかく病院では何をするにも名前を聞かれる。足の裏にも、マジックで黒々と「山本洋三」と書かされた。)「山本洋三です。よろしくお願いします。」としっかり答える。手術台に寝る。さっと何人かがぼくの周りを取り囲む。酸素マスクのようなものが口にあてがわれ、「さあ、新鮮な酸素で肺をいっぱいにしましょうね。」という女性の声がする。そしてそのあと、「じゃあ点滴を入れます。」の声。そしてそれっきり。あとは、まったく知らない。だから細かいことは書きようがない。全身麻酔はこれで2度目だが、ほんとうにすごいとしかいいようがない。

 手術は4時ごろ予定どおり終了したそうだ。約7時間半ほどかかったことになる。その後、人工呼吸器をつけたままICU(集中治療室)に移された。人工呼吸器が外されたのが、夜中の3時ごろ、そして、11日の朝8時ごろぼくは麻酔から覚めた、ということらしい。

 目覚めると、ぼくの真上に、白衣を着た鈴木先生の巨大な体がそびえていた。「山本先生! 手術は成功しました。おめでとうございます!」大きな声でそういって、満面の笑みをたたえた先生は、いきなりぼくに握手を求めてきた。(この時の印象が、「宇宙船に乗って宇宙から帰還したような感じ」として心に強烈に残った。この一連の最初のエッセイで、「宇宙からの帰還?」と題したのも、実はこの感じがあったからだろうと思う。)

 ぼくは朦朧としていたが、それでも先生としっかり握手をした。その手はまるでグローブのように分厚く大きく暖かく固かった。ぼくは驚愕した。こんなに大きな手で、あの繊細きわまる手術をしたのだろうか。その驚愕の中、今度は先生は携帯で家内に電話をして、「今、ご主人が目を覚まされました。とても元気です。」と報告をし、その携帯をぼくに渡した。ぼくはもうわけもわからないままに、携帯で家内に「大丈夫だ。」とか何とか言ったように思う。携帯の向こうで、家内の喜ぶ声がはっきり聞こえた。家内は、昨日からの長時間の手術を待ち、夜、家に帰ったわけだが、心労で、朝はもうめまいがして起き上がれない状態だったという。そのためその日は病院へ来ることもできなかったのだが、ぼくの声を直接聞くことができてとても嬉しかったという。鈴木先生は、その後も、節目節目の大事なことを、いちいち家内に電話をして報告してくれたのだった。

 退院のときに、そのことについて家内がお礼を言うと、鈴木先生は「アメリカに留学していたとき、恩師の教授から教えていただいたのは、何よりも患者さんやご家族との信頼関係が大切だということでしたから。それに人間関係の大切さは、栄光学園で学びましたからね。」と言った。栄光学園の教育も、このように生かされているとしたら、素晴らしいことだが、やはり、そのように教えられたことをきちんと生かす人が素晴らしいのだといったほうがいいだろう。

 それにしても、ぼくには、どうしても確かめたいことがひとつあった。鈴木先生の手はあんなに大きいのだろうか。あれは、麻酔がまだ半分かかっていた故のぼくの錯覚ではなかろうか、ということだった。それで話が一段落した後、「先生、握手してください。」とお願いした。やっぱり大きくて分厚くて固い手だった。「先生、血管と人工血管は、やっぱり手で縫うんですか。」と聞いてみた。「そうです。」「よくそんな細かいことができますね。」「練習です。毎日練習しています。イチローだってそうですよね。とにかく練習をするんです。」

 鈴木先生は、栄光在学時代は、運動部で体を鍛えたのだそうだ。外科医になって以来、自分の病気で病院を休んだことはないんです、医者は体力が何より大事なんですよ、と言う先生の言葉を聞きながら、やっぱりこういう仕事こそ、「本当の仕事」なんだなあ、オレが今までやってきた教師の仕事なんて、舌先三寸の、まったく仕事なんていうには甘すぎる仕事だったなあとつくづく思ったのだった。


 

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