64 ジタバタ「心臓カテーテル検査」

2014.2.15


 検査入院をしたのが、12月18日で、その日から立て続けにいろいろな検査をしたけれど、週末は検査も行われないので、20日の金曜日から22日の日曜日までの3日間は外泊となった。23日は祝日だったが、翌24日の心臓カテーテル検査の準備のために夕方に病院に戻った。

 外泊の日の日曜日、同居している次男夫婦と一緒に食事をしたときに、「心臓カテーテル検査って、どんなふうにやるのかなあ。麻酔をかけるって言ってたけど、全身麻酔じゃないみたいだし、痛くないのかなあ。」と言ったら、次男が「血管には痛覚がないから、全然痛くないと思うよ。だって、その検査を編み出した人って、自分で自分の血管にチューブを入れて、どこまで入るかってやったんでしょ。命がけだったらしいけど。」なんて言う。そんなこと、はじめて知ったが、そうか、まあ痛くないならいいかということで話は終わったが、どうもどういう検査なのかいまいちよく分からず、不安ばかりがつのっていった。

 これが手術ともなれば、こと細かに医師からの説明があるのだが、検査となると詳しい説明はない。手術のリスクを減らすために、心臓の周りの血管に異常がないかどうかを調べるための検査だということは鈴木先生から聞いていた。しかし、検査を担当する医師は別の科の医師で、その医師は検査の前日に挨拶には来たけれど、検査の具体的な仕方についてはあまり詳しく説明してくれなかった。ぼくの方も、根掘り葉掘り聞くのも何かカッコ悪いような気がして質問もしなかったから、とにかく手首あたりの血管からカテーテル(柔らかい管)を入れて、そのカテーテルを心臓の方まで押し込んで行くらしい、ということぐらいしか分からなかった。しかし、そんなことができるものなのだろうか。実に複雑に入り組んでいると思われる血管の中を、一本の管がどこまでも、道を間違えずに心臓まで到達するなんてことが果たしてできるものなのだろうか。

 それよりなにより、どうしてこの検査は2泊3日を必要とするのだろう。いったい何時間かかるというのだろう。それもおおいに疑問だった。

 病気の発覚より数ヶ月ほど前だったか、家内の友人のご主人が、この検査をした時に、途中の血管がグルグル渦を巻いていて、カテーテルが先に進まなかったという話を家内から聞いたことがあった。その時、医者は「先へ進まないなあ。」なんて言って笑っていたというが、その後、どうなったのかよく分からないままで話が終わってしまった。しかし、いずれにしても、そういう人もいるくらいなんだから、やっぱりそう簡単にカテーテルっていうのは心臓には到達しないんじゃなかろうか。やっぱり、相当道に迷うのではなかろうか。そう考えるのが素人というものだろう。少なくともぼくはそう思った。

 検査の前日、夜中ごろから絶飲食となった。当日の朝も絶飲食である。よく覚えていないが、点滴も始まったような気がする。そうか、それで、前の日から入院する必要があるんだなと、それはそれで納得した。検査は、お昼過ぎだったと思う。看護師が付き添ってくれて検査室へ入った。

 その部屋に入った瞬間、ぼくはすっかり動転してしまったのだった。

 それまでの検査室は、カーテンで仕切られた部屋とか、ごくありふれたレントゲン室とか、MRIの場合はかなり大がかりな機械が置いてある部屋ではあったが、検査技師は1人か2人だった。それが、いったいこれは何としたことか。全体に濃いブルーの近代的な色調の、ものすごく広い部屋の真ん中の床から一段も二段も高いところに手術台のような細長いベッドがあり、そのベッドのそばには、畳1畳ほどもあろうという巨大なモニターが天上から吊されている。そして、ベッドの周辺にはさまざまな機械類がぎっしり並んでいる。まるで、最新鋭の宇宙船の中みたいだ。そして何より度肝を抜かれたのが、ぼくを出迎えた医師や看護師の多さである。担当の医師はもちろん、助手の医師、看護師、麻酔の医師などなど、正確に数える余裕などなかったが、総勢10名ほどが、勢揃いして、みんなニコニコして(と思われた)ぼくを見て、「いらっしゃいませ!」と言ったような気がした。まさか、「いらっしゃいませ!」と言うはずはないが、何か、これからすごいことが始まるんだというただならぬ雰囲気が漂っていた。とにかく今までの検査とは、まるで違う緊張感なのだった。

 ぼくは、看護師にうながされるままに、ベッドに横たわった。するとどうだろう、そこにいた人たちが一斉にぼくに襲いかかり(と思われた)、ぼくの手足をベッドに縛り付けた。あっという間に左の腕には血圧計がまかれ、圧力が加わりはじめる。右手首は完全に固定される。足も固定され動かない。胸の上には分厚いゴムのシートのようなものがかけれらる。これではまるで、小人につかまったガリバーではないか。ぼくはもうわけも分からない恐怖に襲われて、ジタバタした。ジタバタしたといっても、ベッドの上で暴れたわけではない。暴れようにも身動きがとれない。身体的にではなく、心理的にジタバタしたのである。それは血圧の上昇や、手足の発汗として現れたのだろう。看護師たちは慌てるやら、呆れるやらで、「山本さん、山本さん、落ち着いてくださいね。まだ処置は始まっていないんですよ。大丈夫ですよ。先生も、ここにいますから。」と懸命に繰り返した。「山本さん、ね、落ち着いてくださいね。あらあら、こんなに汗をかいちゃって。」看護師もあまりのぼくの取り乱しように、思わず笑ってしまいながらも懸命になだめてくれたのだが、どうしようもなかった。今思えば、これこそまさに「独り相撲」で、ベッドに寝かされただけで、こんなにジタバタする男というのも、そうはいないのではなかろうか。まったく「バッカじゃなかろか!」である。

 じゃ、これから始めます、という男の声が聞こえた。担当医らしい。このあたりから、さすがのぼくも、ようやく少しだけ落ち着いてきた。麻酔注射はちょっと痛かったが、その後は、何にも痛くない。痛くないけど、今何をやっているのか全然分からない。右手首に何やら水のようなものが流れる。これは血か。手首を切られたのか。目を開ければ、モニターに何かが映っていたのだろうが、とても目を開ける勇気はない。カテーテルはどこまで入ったのだろうか。血管は、途中でグルグル回っていないだろうか。あらゆる想像が頭の中を駆け巡る。

 そのうち、医師が、「はい、ニトロ○○ミリリットル」とか、「○○を、もう少し。」などと落ち着いた声で指示を出し始めた。しばらくすると、今度は「はい、じゃあ、山本さん、これから写真を撮りますから、指示に従ってください。」「じゃあ、息を吸って、はいそこで止めて。」などと言う。何だか肺のレントゲン検査みたいだ。そうか、この検査は、心臓まわりの血管のレントゲン写真を撮るのが目的なのか。カテーテルを入れるのは造影剤を入れるためか。はたと、そう気づいた。カテーテルによる手術ではないのだから、当然そういうことなのだろうが、ぼくはちっとも理解しておらず、ただただ「何をしているんだろう。」と想像しては怯えていたのだ。全身麻酔でやってもらえればいいのにと思ってもいたが、息を吸ったり吐いたりしなければならないのだから、全身麻酔じゃどうしようもない。第一、全然痛くないのだから、そんな必要はないわけだ。

 そんなことを思いつつ、それでも、何とかはやくこの検査が終わってくれないものかとひたすら不安に耐えていると、ベテランとおぼしき看護師さんが、ぼくの耳元で、「山本さん、検査は順調に進んでいますから安心してください。今、半分ぐらいまできましたからね。」と落ち着いた声で、ささやくように言った。この言葉で、全身の力がすっと抜けた。地獄で仏とは、こういうことを言うのだろう。この一言以後、ぼくは急速に落ち着き、一時間ほどの検査は無事に終了した。「あ、血圧も120まで下がってるね。」という声が聞こえた。ジタバタしているときは、いったいどれくらい高かったことだろう。

 ベッドから降りて車いすに乗った時は、もう全身これ以上はないというくらい疲れ果てていた。やっぱりこれじゃ、日帰りの検査なんてできないはずだとようやく完全に納得できたのだった。

 それでも、カテーテルを入れる血管を取り出すために、右の手首を切開したのだと思い込んでいたぼくは、その日、友人にそのことをメールした。友人は「麻酔注射が先か、それとも切開が先か?」って聞いてきた。「麻酔が先に決まってるだろ。切開が先だったら痛くてたまらないよ。」と返事をした。そうしたら友人は、「それならいいけど。そうじゃなきゃ卒倒もんだ。」なんて返事をくれた。翌朝、血圧を測りに来た看護師さんに、「ね、そこ、切開したんだよね?」って聞いたら、彼女はプッと吹き出して、「切開なんてしてませんよ。手首なんて切開したら、山本さんみたいに血圧の高い人は、血がピューて飛んじゃいますよ。血管から、カテーテル入れただけですよ。」と言った。なんだ切開してないのか。それならあの時、右手首にどくどく流れていた液体はいったいなんだったのか、などと思ったが、結局何だか分からなかった。後で右手首の絆創膏をとってみたら、ほとんど見つからないほどの小さな針の跡があるだけだった。いったいこんな小さな穴から入るカテーテルって、って思ったけれど、もう分からないことは考えてもしょうがないので、考えるのをやめ、とりあえず「手首、切開なんてしてないんだってさ。」と友人にメールして、暮れの26日、病院をあとに、年末気分で賑わう巷へとトボトボ帰っていった。


 

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