62 すべてはつながっている

2014.2.6


 家内が「とにかく、悦ちゃんに電話。」と言ったとき、ぼくは狼狽の中で、かろうじて現実に戻ったと言っていい。あしかり先生が言っていた、「どこか専門の病院」を探すことが当面の課題であることに気づいたのだ。あしかり先生に任せれば、当然CT検査を行った神奈川県立循環器呼吸器病センターで受診・手術ということになったろう。結果的にはそれでもよかったのかもしれない。けれども、この「悦ちゃん」によって、事態は急速に展開したのだった。

 ぼくら夫婦は「悦ちゃん」などと気安く呼んでいるが、この人は、宮城悦子といい、横浜市立大学医学部産婦人科の准教授で、同時に化学療法センター長でもある。学会でも活躍がめざましく、テレビの健康番組にも何度か出演したこともある医師である。そしてこの宮城悦子先生は、ぼくが青山高校で教師をしていた頃の教え子なのだ。高3の時は担任をしたこともあって、彼女の結婚式にも招かれて行った。この結婚式では、びっくりするようなことがあった。ぼくは新婦の恩師として出席したわけだが、その席に、栄光学園の同僚(その頃には、ぼくは青山高校をやめて栄光学園の教師として母校に戻っていた。)とばったり出会ったのだ。新郎は、何と、その同僚の中高時代の友人、つまり栄光学園の卒業生だったのだ。

 そんなわけで、宮城先生とはなみなみならぬ縁があったのだが、20年程前に家内が病気をしたときに、この宮城先生にとてもお世話になり、家内もぼくもそれ以来、「悦ちゃん、悦ちゃん」と呼んで、テレビに出てくると「あ、悦ちゃんだ。」雑誌に載ると「あ、悦ちゃんだ。」と、何かにつけて話題にしていたのである。

 ぼくの病気は産婦人科とは関係がないけれど、「悦ちゃん」なら、きっと助けてくれるに違いない。そう家内は思ったのだった。その夜、さっそく宮城先生に電話をした。ご帰宅が遅いということだったが、翌日の朝、宮城先生は電話をしてきてくれた。ぼくは学校へ行っていたが、家内から、とにかく一刻も早く紹介状を持ってうちの病院に来てください。心臓血管外科部長の益田宗孝先生という方をよく知っているので、紹介状をその益田先生宛に書いてもらうように、ということだったとのメールが入った。ぼくは、昼休みに、宮城先生に電話をした。先生は、「先生、大変じゃないですか。とにかく早く、紹介状を持って、来てくださいね。直近の外来の日に来て、早くカルテを作ってください!」と叫ぶように言った。心の底からぼくのことを心配している声だった。

 直近の心臓血管外科の外来診療は1週間後の12月17日だった。ちょうどその日の前日が、期末試験の答案返却日で、2学期の最後の授業だった。生徒に試験を返しながら、ひょっとしたら、これが最後の授業になるんだろうなと思っていた。生徒は、もちろんそん、ぼくがそんな気持ちでいることなぞ、想像すらできなかっただたろう。

 17日、はじめて横浜市立大学医学部付属病院の心臓血管外科を受診した。診察室に入ると、益田先生がにっこり笑って「宮城先生の恩師なんですってね。あ、栄光の先生なんですね。ぼくは、広島学院の出身なんですよ。」と言う。広島学院は栄光学園の姉妹校で、交流も盛んだ。「高校時代だったかなあ。関根神父に習ったことがあります。」関根神父は、前の栄光学園の校長だが、昔は広島学院で英語を教えていたのだ。

 そんな話があった後、本題に入ったが、診察の前に撮った造影CTの3D画像は、はっきりと「大動脈瘤」を映し出していた。その画像は、まるで血管だけの実物の模型のようにあらゆる角度から「大動脈瘤」を見ることができた。怖いというより何だか感動的ですらあった。ぼんやりとしたレントゲンの画像から、輪切りの形でしかみえなかったCTスキャンの画像へ、そしてこのカラーの3D画像へと「事実」は確実な姿でぼくの前に現れてきた。

 「大動脈瘤」には診断の三つのポイントがあるんです、と益田先生は言った。「大きさ」「形」「スピード」の三つです。大きさは、5センチを超えると手術の対象となります。山本さんのは5.3センチです。この大きさは、瘤自体の大きさではなくて、血管全体の太さということです。心臓に近い大動脈の直径は約3センチですから、そこから2.3センチ膨らんでいるということです。形というのは、血管の両側が膨らんでいるか、片側が膨らんでいるかです。同じ5センチでも、両側が膨らんでいる形だと、瘤自体は一つが1センチということになりますが、山本さんのように片側だと2センチということになりますね。後はここまで大きくなったスピードですね。

 ぼくはその時は言えなかったが、このスピードには思い当たる節があった。あしかり先生は言っていた。3年前にはなかった、と。それなら、たった2年で、これだけ大きくなったということだ。すべてが最悪だった。

 後で鈴木から、──あ、それこそ彼は栄光の卒業生ですよ──詳しく説明があると思いますが、いずれにしても、手術をお勧めすることになると思いますと、益田先生は言った。その後、何かの検査をして、再び診察室に入ると、もうひとりの先生がニコニコ笑って座っていた。「栄光の27期の、鈴木伸一です。」と言う。27期生が在学中は、ぼくは都立高校の教師をしていてこの鈴木先生を教えたことはないのだが、それでも彼は、ぼくを先生と呼び、全力を尽くしてがんばりますと言い、ぼくの病状に関して詳しく説明してくれた。

 益田先生の言っていた「大きさ」「形」「スピード」以外で、「瘤」の「位置」が問題であること。ぼくの場合は、心臓に極めて近いところにあり、そこは、脳などへ向かう血管が集まっているところでもあるから、最近行われるようになったリスクの少ないステントグラス(血管内治療)が行えず、開胸して、人工血管と置き換える手術しかないとのことだった。この手術は、昔はそれこそ大変危険な手術だったけれど、今では非常に進歩していて、特に日本のレベルは今や世界のトップクラスにある。しかし手術での死亡リスクは5パーセントであり、その他の後遺症などのリスクも含めると更に2〜3パーセントのリスクが上乗せされる。けれども、手術の前に、全身にわたっての詳しい検査をするので、リスクは最小限に抑えることができます、といったような明晰で熱のこもった説明を聞きながら、ぼくはすっかり安心していた。こんなにも自信に満ちた先生が手術をしてくれる、しかも、同窓生の先生が手術をしてくれる、これ以上ぼくはいったい何を望むというのだろう。すべてをこの先生に任せよう。そう思った。

 ぼくは、その場で、手術をすることに決めた。その後は、驚くべきスピードでことは進んだ。その日の翌日から検査入院をすることになったのだ。年末に向かう慌ただしい時期に、様々な事前の検査を効率よく行うことができるように、鈴木先生は手を尽くしてくださったのだ。

 「悦ちゃん」に電話してから、すべては不思議としかいいようのないほどの縁ですべてがつながっていった。見ず知らずの病院へ入院し、生死をかけた手術をするというときに、その病院に一人でも知り合いがいればどれほど心強いことだろう。それが一人どころではない。何人もの先生たちが、「知り合い」だった。この後知ったことだが、ぼくの治療チームの若手医師の一人渡辺医師は、ぼくの栄光の教え子だった。そして入院中、何人もの栄光の卒業生の医師や学生が見舞ってくれた。ぼくは、世界一、幸せな患者だった。


 

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