60 あしかり先生の疑惑

2014.1.28


 概略とか、あらすじとかいったものは、ものごとの大体を知るにはいいが、あまり意味のないこともある。

 たとえば、「アンナカレーニナ」ってどういう小説ですか? って聞いたら、「夫がありながら、不倫をした女性が、罪の意識に苛まれた自殺した、って話です。」という答えが返ってきたとしても、あまり意味がない。「罪の意識に苛まれて自殺した。」って結末は、今では「お、珍しい」というぐらいの感想は浮かぶかもしれないが、それ以外には別にどうってことない話である。そんなことを知っても意味がない。

 1週間ほど学校を欠席した生徒に「どうしたの?」って聞いたら、「熱があって医者に行ったら、インフルエンザだったので、休みました。」という答えが返ってきた場合は、むしろ、これで十分である。後はだいたい想像できるからである。

 でも、前回ぼくが書いた「報告」は、もっと短く言うと「大動脈瘤が見つかったので、入院して手術したが、手術も無事成功して、退院した。」ということになる。だいたいは分かるだろうが、経験したことのない人には、ほんとうの所はさっぱり分からないはずだ。このブログではじめてこのことを知った知人が、「自覚症状がないのに手術って変ですよね。」と書いてきた。確かにそうなのだ。インフルエンザにかかった生徒は「熱が出た」から医者に行ったわけだ。ぼくの場合は、まったく何の自覚もないのに、どうして見つかったのか? というのが最大の疑問のはずなのだ。

 すべての始まりは、今年の健康診断にあった。数年前までは、学校指定の人間ドックに行っていたのだが、そこで血圧を測るとどうしても、180とか、190とかいった高い数値が出てしまうので、看護師が心配して検査のあいだじゅう、「ご気分はいかがですか。」といってついてまわるのが嫌でしょうがなかった。もともとぼくはかなり若い頃から遺伝的な高血圧で、薬も飲んでいたのだが、医者に測られると、ドキドキしてしまって普段よりもずっと高くなってしまうのだった。それで、かかりつけの内科「あしかり内科」(院長・芦苅靖彦)で、健康診断を受けるようになった。これが6年ほど前のことだ。

 ぼくは、人並み外れて神経質で、臆病な人間だから、そもそも検査というものが大嫌いなのだ。結果が怖いからだ。それなのに、ふと今年は今まで受けたことのない「肺がん検診」をオプションで申し込んだ。(この検診は、肺のレントゲン写真を二枚とり、それを医療チームが判断するというだけのことで、実は「あしかり内科」では、毎年レントゲン写真をとっていたのだ。)検査の結果が出るころになっても、ぼくはいつもならグズグズしてなかなか結果を聞きに行こうとはしないのが常なのに、今年は11月にひいた風邪がなかなか治らず、いつまでも咳が出るので、風邪薬ももらおうと思って、いつもより早めに「あしかり内科」へ行った。これが12月の3日。そしてこの日が、ぼくの運命を決める日となった。

 芦苅先生は、血液検査などの結果を見ながら、どこも悪いところはないねと言うので、やれやれと思っていたら、肺のレントゲン写真を見ながら、「肺がん検診のチームの方は、異常なし、ということで戻ってきているんだけどねえ、どうもぼくは、ここが気になるんだなあ。」と言って、心臓の近くの動脈の周囲を鉛筆でなぞった。「ほら、ここらあたりが何となくボンヤリしてるでしょ?」と言う。そう言われても、心臓や動脈は確かに形が見えるけど、「ボンヤリしている」と言われれば、どこだってボンヤリしている映像だらけだ。「どうもねえ、気になるんだなあ。う〜ん、微妙だなあ。分かんないなあ。」と呟き続ける。

 ぼくは、だんだん不安になってきて、「肺がんなんですか?」と聞くと、「いや、そうじゃないんだけどね、なんかここらあたりがねえ。」と言いながら、モニターに以前の肺の写真を次々と表示させ、「ほら、これが3年前の写真なんだけど、この動脈の輪郭がくっきりしているでしょ。でも、去年は、ちょっとボンヤリしていて、今年はそれがもっと大きくなってきているような気がするんですよ。何だろうなあ、これ。わかんないなあ。」と言って、今度は立ち上がって、鉛筆で頭をかきながら、「分からない。分からない。」を繰り返した。

 言っておくが、この医院は閑古鳥が鳴いているわけではない。待合室には患者がいっぱいあふれているのだ。それでも、先生は、迷っている。「肺がんじゃないとしたら、何の可能性があるんですか?」と聞くと、「う〜ん、よく分からないんだけど、大動脈瘤とかね、あるいは何かの腫瘍とか。何でもないのかもしれないし。よく分からないんですよ。とにかくとってみれば一発で分かるんだけどなあ。」と言う。ぼくは思わずぞっとして「とってみるって、手術して組織をとってみるってことですか?」とバカなことを口走ると、先生は苦笑いして、「違うよ。CTだよ。」という。「CTをとれば、はっきり分かるんだけどなあ。」「とったほうがいいんでしょうか?」と聞いたぼくは、正直言って、「いいですよ、そこまでしなくても。肺がん検診のチームの医者は問題ないと言っているんでしょ。それでいいじゃないですか。」と叫んで診察室から逃げ出したかった。そんな検査を受けて、結果が出るまでの日々は耐えられないと思ったからだ。

 でも、先生はぼくの質問に「まあ、あなたのお気持ち次第ってことですけどね。でもねえ、ぼくはねえ、あなたの主治医ですからねえ、後で、まさかあというようなことがあっては困るんだよなあ。」と言った。それまでひたすら逃げ腰だったぼくは、はっと胸をつかれた。そうか、この先生はそこまでぼくのことを考えてくれているんだ、それをぼくの臆病な心で無にしてはならない、勇気を出さなければならない、そう思った。

 「分かりました。検査を受けます。」ぼくはそう言った。「そうですか。まあ。安心のためですからね。」と先生はにっこり笑った。

 これがすべての始まりだった。


 

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