54 柳家ろべえさんをヨロシク

2013.11.23


 去年に引き続き、中学1年生を対象に、落語会を開催した。去年は、ぼくとしては初めての試みで、果たして生徒に受けるかどうか半信半疑だったのだが、これがまあ、ものすごく受けて、落語の力を改めて認識する結果となった。その時来てくれた柳家ろべえさんに、今回も来てもらった。去年、来年もお願いしますと頼んでおいたのだ。

 でも、こういう会をやるとなると、開催日の決定から、出演料の交渉(といっても、ろべえさんとの交渉ではなくて、学校との交渉です)、時間割の変更、はては当日の準備などをほとんど全部ひとりでやることになるので、面倒くさいなあという気分になるもので、何度か、やめようかと思ったのだが、それでも、去年の生徒の喜びようが目に焼き付いているので、何とか頑張って開催にこぎ着けたというわけである。

 幸か不幸か、開催日の数日前から、珍しく風邪をひいてしまい、声がかれてしまった。浪花節なら声がかれたほうがいいのかもしれないが、授業ともなるとこれほど困ることはない。それが落語会となれば、あまりぼくがしゃべらなくてもいいので助かったというのが、「幸」の方である。「不幸」は、咳や喉の痛みや鼻水で苦しいのだから、説明するまでもないだろう。

 去年は2時間使ったが、今年は1時間。話は「転失気(てんしき)」と「子ほめ」。やっぱり大受けだった。枕の小咄から、もう食いつきがいい。「転失気」などは、もう椅子から転げ落ちんばかりに大笑いしている。「転失気」は「おなら」の話だから、大人が聞くと、周りを気にしてあまりバカ笑いできない。「こんなので笑ったら下品だと思われないかしら」とつい思ってしまうからだ。けれども、子どもは、そんなことは気にしない。特に子どもはこの手の話が大好きだ。そんな中で聞いていると、ぼくも子どもに戻って思い切りバカ笑いできるというものだ。

 「子ほめ」も大受けだったが、最後のオチの直前、「このお子さんは、おいくつで?」との質問に、「まだ生まれて七日目だ。」と答えると、「あ、初七日か」と言ってしまうくだりがあってたいていの大人はここでプッと吹き出すわけだが、ここだけ会場は一瞬シーンとなってしまった。「初七日」という言葉を誰も知らないのだ。これは去年もそうだった。「初七日」と「お七夜」を間違えたわけで、それがオカシイのだが、今の子どもにはそれは分からない。翌日、その違いをかれた声を振り絞って説明したら、そこで初めて生徒は笑っていた。24時間遅れの笑いである。

 「笑い」は、生活の潤いにもなるが、「笑い」が知識のバロメーターともなる。いろいろと授業で難しいことを説明するときに、生徒が「笑う」かどうかをぼくは目安にすることが多い。まあ、これも国語だからできることで、数学で「笑う」ということが理解できたかのバロメーターにはならないだろう。国語にとっては「共感」が何よりも大事で、その「共感」は、多くの場合「笑い」となって表現されるのである。

 それはそうと、柳家ろべえさんは、その日の放課後にも、落語を1席やってくれた。聞き手が、教師10名ほどだったので、「勉強させていただきます。」と言って、「妾馬(めかうま)」をやった。覚えてまだ数ヶ月という演目だったそうだが、これが絶品だった。この前の江ノ島での「弁天寄席」でやった「芝居の喧嘩」にも感心したのだが、これはそれを上回る出来で、感動してしまった。

 まだ二つ目のろべえさんだが、真打ちになる日もそう遠くないだろう。ぼくは彼がまだ前座の頃から聞いてきたが、その頃は、いかにも「駆け出し感」に溢れていたろべえさんが、ここのところメキメキと上達してきたことには驚かされるし、本当に嬉しい。どうか、柳家喜多八ただひとりの弟子「柳家ろべえ」をなにとぞよろしくお願い申し上げたてまつりまする。


 

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